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感情との付き合い方


たまに自分が感じたくない感情に呑まれてたりする。

 

今までもこの感情のついて

どう付き合っていけばいいか

色々探したり、読んだりして来た。

 

不安や恐怖をどうにかする為に

頭で考えて、分かったり気づいたりすることに価値を置いて信じてきてた。

 


知識だけ詰め込んで

人よりも何でもいいから特別でいたかったというのを叶えようと必死だった。

 

 

感情を感じたら、頭で処理しようとしていたけど

それは上手くいかなかった。

 

 

それで、付き合い方というタイトルにした割に今から書くのは

何の脈略もなくて夢みたいな話しとか

最近の覚え書きだから

タイトル違いかもしれない。

 

 

 

1.感情について

 

自分が今何に不安や恐怖を抱くのか見てみると

 

怒りで目がつり上がってたり

物を投げたり、壊したり、ドアを強く締めたり

そうゆう激しさや

 

その矛先が自分に向けられることや

 

自分に興味を持たれないことや

 

自分がしたいことのために、相手の気分を考えずに自分主導で事を運ぼうとする傲慢さや

 

いじめに見えるとか喧嘩とか

 

〝相手の気持ちを考えなさい〟と言われて育ったルールが無視され続ける目の前の環境とか


そうゆうのが怖くて地獄絵図のように見える。

 


過去の不快な感情がまた来て欲しくないから、

過去のその時の不快な感情になることの方を余計に考えて

 

何も起こってない今が不快。

 

 

2.母との会話

 

起きがけに母とした電話だから

もはや夢かもしれないのだけど

 

母も私も今、同業種で

 

先日あげた愛着障害↓の話を母としていた所に

不安のまま、怖いまま、とりあえずそこに居てみる。 - 不器用さんの幸せエッセイ集

なぜかジブリの「となりのトトロ」は

あれは神隠しの話だと母が言っていたのが後々妙に気になり出す。


トトロといえば私にとっては

ふかふか毛布みたいな安心の存在だったのに

 

母の一言で今までのファンタジーが壊れて

ちょっとがっかり。

しかも母がそれを言ったというのがまた複雑な気分。

 


そして同じタイミングで

ジブリの都市伝説は結構あるらしいと言うのを子供から聞いたのも、ちょっと複雑。

 

でも自分が母とか子供という存在に思い込みを持ってるから

ちょっとしたがっかりや複雑感があるのかも、

なんて思った。

 


悪いと思うことも、良いと思う事も

そう思うこと自体、片側だけを虫眼鏡で狭く見て

 

全貌は一度も知らない。

 

 


3.新しい知識(日本の神様の話し)

 

最近、本棚で

日本の神様を絵で紹介する児童書を見つけた。

 

私の神様のイメージは清く、正しく、強く、美しい。良い。天国。

ざっとそんな感じで

 

それ以外は悪いとか地獄とか、汚いとか

そんな感じで

 


でもこの本の中には

ヤマタノオロチ〟や〝御霊〟といった

所謂悪そうなイメージのものも

神と同じ扱いで紹介されていた。

 

ヤマタノオロチは神でなくて怪物じゃないのか?とか

ヤマタノオロチ - Wikipedia


怨霊から御霊というのは知っていたような知らなかったような…とか。

 

なんかその流れで

ジブリの「もののけ姫」の祟り神を思い出した所で、御霊信仰wikiを読んでたら祟り神がいた。

御霊信仰 - Wikipedia

 


ヤマタノオロチ竜神だとかなんだとか

 


境界線が曖昧で、

何が神で神が何で

神の怒りなのかと思えば、怒りの神なのかとか

 

 

wikiでちょっと読んだだけだけど

日本の神様たちのやってるそれ自体

ルールもないし激しいし

なんだか地獄にも見えてくる。

 

 


自分が思い描いてる神様が既に

白と黒なら白い方、良い方として来てる。

 

でもここは日本。八百万の神

 

うんと底の下の暗い所から

うんと高い上の光までの至る所全てに

自分には神だなんて思えないものまで

本当は神様が散りばめられてるのかな。

 

 

 

#桜#路地#神様#ブログ更新#帰り道#蔵

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自分が目の前の出来事で感じる

不安も恐れもカオスも地獄も

 

それと別の世界として

安心や幸せやコスモスや天国があるんじゃなくて

 

そうやって二つに別れてるものではないのかもしれない。

 

 

目の前がどんな美しくても、それとは別の見方が存在する。

 


私という視点が感じる事がどんな事であれ

良し悪しで振り分けずにいる事が最初。

 

ざまあみろって思う私が居ても

そう思うなら

それを良いとか悪いで否定するのをやめてみる。

 


そんな自分を正さなければバチが当たると思うほど

自分の湧いた思いが酷いものだとしてるけど

 


感情に問題はない。

感情は出るものだから。

 


それが出て、そう思う自分を受け容れると

なぜそう思うのかもわかってくる。

 

きっと何か傷付いた過去。

 


感情は元々それがあるよって

自分の中にある物を教えてくれるサインみたいなものだから。

 

どんな感情にも

「ああ、そうなんだって」

見てあげるけど、何もしない。

 

多分だけど、感情も考えも

それが私ではないからなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前のカオスに出会ったら

 

目の前の鬼に出会ったら

 

そして、自分の中の不安と恐怖に出会ったら

 

おめでとうを言おう

 

祭りで神々が踊ってる躍動を見ている

 

うちの中でも外に出ても踊りで溢れてる

 


まるで

 

激しい神様と穏やかな神様がいて

 

怒りの神様と許しの神様がいて

 

悲しい神様と嬉しい神様がいて

 

傲慢な神様と謙虚な神様がいて

 

安心の神様と不安の神様がいて

 

 

 

その対極はどちらも祝いの席でした

 

その全てが神様の祭り事として

 

特別に用意された招待席で私はそれを眺めてる

 

ここで今生きているということは

 

そうゆうことかもしれない