不器用さんの幸せエッセイ集

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責任という言葉について

 

最近、責任という言葉が気になってしょうがなかった。

 

以前お世話になってた人からは

責任をこんな風に伝えられたことがあった。

 

「責任があるとすれば、それは自分を幸せにすることだけだよ」と。

 

言われた時は、それはそうなんだろうけど、

と思った。

なぜかそう思っていた。

でも、同時にできないとも思った。

 

そして、責任という言葉がずっと

空恐ろしくてしょうがなかった。

 

だからその言葉を前にすると、

とても小さい自分しかいなかった。

 

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責任 - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

責任を取るということが

何か悪いことを引き受けて、責められることのように思っていて

周りから袋叩きにでもされるような

そんな怖さを持っていた。

 

責任はいつも他人の目とセットだった。

 

 

周りに見せる姿勢のように感じていたから

自分の中の言葉というより、

自分から他者向けの外にある言葉のように感じていた。

 

そこに出来るだけ触れないように生きていたように思う。

 

目的を達成したいなら嫌なことはやらないといけない

という話しは聞いていたけれど

 

私はいつもそこを避けていた。

 

そこを避けているの「そこ」に責任はある気がしていた。

 


最後までやり遂げられない理由はいつも

自分の感情やメンタルのせいだと思っていたけれど

 

そうやって自分はダメだ、どうせ無理、と自分自身が責めていて

 

弱い自分であるということを

例えば収入や

どんな仕事をしてるかや

能力の有無や

社会の仕組みや

 

そうゆう所をフルに使って

 

自分のダメぶり弱さぶりを

周りに証明するために

自ら選んでやっていたように思う。

 

 

私はこんなにも弱いから

だから安心してください。

 

私はこんなにもダメなんで

あなたには危害を加えません。

 

私はこんなにもデリケートなんで

もっと優しく扱ってください。

 

 

自分が自分にしてることにはメリットがあって

そのメリットが欲しいために

自分で自分のパワーを奪ってることに気付けなかった。

 


出来上がった弱さというアイデンティティ

過去の出来事でショックを受けた時に

自分を守る為に新しく作った盾のようなものだった。

 


強さは誰かを傷つける

この私のままでいると危険だという経験が

私から強さを隠した。

 


きっとあの時から、

私は自分でいることを手放して

何かに従うように生きてきたから

 

その代償としての生きづらさがずっとあった。

 

 

苦しみはそうゆう私自身からの訴えだった。

 

 

どんな出来事が起きても

どんな状況に陥っても

自分との約束を例え果たせなくても

 

そうゆう時にこそ使う言葉が

責任なのだと思うようになった。

 

 

私はこの私自身をより良く生かし続けるという責任があるという

誰かに見せる為ではなく

自分の中の言葉になりつつある今だったりする。

 

 

 

 

 

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