不器用さんの幸せエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

ネガティブとポジティブという決まりを壊したくて。

 

 

 

前回の続きというか、もう少し詳しい所を書こうかと。

 

 

haruradio.hatenablog.com

  

 

 

海外から私が今いるこの村にお金を稼ぎに来る人たちが

毎年沢山いる。

 

そして、言葉もあまり通じないで

雇う人、雇われる人の関係があまりに良く無い場合、

精神をやられてそれを苦に死んでしまうという事が

起こるらしい

という話を聞いた。

 

村にある高い橋の上のそうゆう事情。

 

去年は仕事の合間の思い出にと

富士山も見えるような眺めの良い、別の橋の上で記念写真を撮ったのに

そこの橋にも観光名所という表向きの華やかさの裏に

そうゆう事情があるって話を今年聞かされ

なんとも言えない気分になった。

 

そんなことを聞いたら

聞いたそばから印象が変わってしまうではないか、なんてね。

  

そうすると

ここはどこか淀んだ感じがする、とかを言いたくなる自分が居て

そんな風に目の前の山間の村も、聞いた話で綺麗に見てた場所も淀み始める。

 

でもそれは、死について

とてもよろしくない印象が多すぎるからなのだと思う。

感情が激しく揺さぶられたり

例えば、悲しみや、憎しみや、後悔や…

穏やかではないられない感情と

死という出来事がセットだからのように思う。

 

そして生きてく中で、自分で経験できる事以外の

テレビや本や見聞きしたりするものまで含まれて

そこにも感情が伴うからだと思う。

 

自分に関係があること、経験した事には

特別に感情は強くなるだろうし。

 

 

 

 

自分にやってくる出来事のうち、過去に同じような経験があると

人から聞いた話だけでも

余計にその「なんとも言えない気分」や「淀んでる」ように

感じることは強まって

今幸せでも、その今という地点から苦しんだあの時にタイムスリップして

死んで行く人への連想ゲームを始めてたりする。

 

あの時の嫌な気分を今更また持ち出して

他の誰かもそうやって悩んでいるのだろうと

想像することとか。

 

でも一つの出来事があっても

誰かは心配で応えて

誰かは怒りで応えるような

人によって変わる千差万別の世界が現実と言われてるもの。

 

自分にその種がなかったりすれば連想もできないし

苦しむという事をしない人は

他の人もそうだろうという所に

自分の想像を使わない。

 

 

自分もそうだから他者も…という自動的な妄想のループも

自分がそれを生み出しているという自覚や責任を持てると

その事が「意識的に生きる」

ということには繋がるのかも。

 

だから、自分の感情を元に誰かのところに行ってはいけない気がする。

自分で沸いたものは自分にしかケア出来ない。

 

影響を受けないようにするには

他者と自分をちゃんと切り離さないと行けない。

 

同じ時間や場所にいても

自分が見てる世界とあの人が見てる世界は

全く別だったりするから。

 

 

 

 

不快な情報を聞いても

その情報が今の自分にどれだけ関係があるんだろうか?

を考えると

実はあまり関係なかったりする。

 

綺麗に見えるのも

淀んで見えるのも

 

結局は自分が感情を乗せてその風景を

綺麗に見るか

鬱蒼として見るか

淀んで見るかは

 

全てが自分由来だった。

 

どれだけ毎日、イメージしてるんだろう?

 

自分がやってるということをすぐに忘れて

感情に踊らされるけど

それが出来る豊かさを今

身体があるから、ここにいるから、

心があるから出来ているという有り難さ。

 

いつもいつも、

その豊かさや相手のある事に感謝する日々。

 

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#ブログ更新#空#太陽#光#谷川俊太郎✴︎そう言えば「闇は光の母」なんて言葉が出せる谷川さんの詩はそれだけで豊かさを思い出す。言葉はその人の豊かさを表すようだから出来ないと断らず、見ようとすることを始めたい。✴︎闇は光の母だったと。