fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

独演会という名のセミナーらしき「ナリ独演会」に行ってきました。

先日東京で開催されたナリくんの独演会in狛江

に行ってきました。

 

k-nali.hatenablog.com

 

ナリ君のlineにずっと登録していて

以前ナリ君が

私が無意識にこうだと思っていた事に対して

ツッコミを入れてくれたことがありました。

 

haruradio.hatenablog.com

 

 

上は、その時に書いたブログです。

 

ダメな自分を見つけて否定しては

それを攻撃しようとする。

そのままにしておけない。

だから苦しい、だから行動、だから求める…

 

その延長線上に色んな買い物、色んな選択、色んな決定、色んな行動が行われてきました。

 

多分、そのままにしておけなくて

まずこの自分をどうにかしてから

したいことするという図式に

自然になってるのは

自分が育てられた過程で築いていった当たり前や

傷付く恐れや、恥をかきたくなかったり

人からどう見られるかを気にしてるからだと思ってる私は

 

「この自分をどうにかしてから」

というのを今でもすこぶる元気にやってるのかもしれません。

 

典型的なセミナージプシーかもしれないです。

 

でも、最近になって

解決しない、グレーにしておく、問題がないなど…の言葉と一緒に

自分に満足してる人達に会いに行って

それが少しずつ分かるようになってきてから

 

自分が自己受容なんてちっともできていなかったことに

今更気付かされました。

 

私が私に対する取り組みを

もう終わらせたいという欲からなのか

自分の現実はなぜ変わらないのか疑問を持ちながら

 

私は流れのまま次の選択をしました。

 

 

それがどんな変化をもたらすのかという期待もできないほど

正直言えば、自分の選択にあまり自信が無いのも初めてで。

 

 

 

 

それはさておき

 

ナリ君の独演会ですが、やっぱり面白かったです。

何も期待せずに何も学び取ろうとせずに

遊びに行きました。

だから、ナリ君に会いに行った感じです。

 

でもやっぱり不思議なことに

独演会前に得た、なんとなく感じていた自分の気付きに

ナリ君がとどめを刺してくれた感じになりました。

 

 

 

気付いていたことというのは

 

ナリ君の独演会の前に

写真の展覧会に行ったのですが

学生時代に手に取れなかった写真があったことを

そこで思い出しました。

 

自分が被写体として綺麗なものを求めたり

はたまた破壊的な個性のある写真にトライしたり

 

どこかでそれを認めてもらいたいという欲求を元に

全てが動いていた頃です。

 

展覧会の写真は愛に溢れてましたが

その人と同じ頃に活躍していたもうひとりの写真家の名前が映像の中に登場した際

そこに急に反応した自分がいました。

 

展覧会場には

その私が反応した写真家の写真はなかったのに

名前だけで記憶が呼び起こされました。

 

今回の展覧会の写真とは違った意味で強烈な個性を放っている写真です。

 

それで学生時代の私から見ていた

その人の写真は

ずっと居心地が悪かったなと。そう言えば見れなかったなと。

 

自分の部屋に飾るとか、その写真を部屋に持ち帰るなんて

写真というカテゴリーが好きでもできませんでした。

でも人から見て

こんなの知ってる持ってる自分かっこいい

ならできますよね。

そのかっこよさを求めていたことは確かでも

持ち帰りたく無い写真でした。

 

ちなみに写真展の時のことはこっちにまとめました↓

 

haruradio.hatenablog.com

 

 

このことを踏まえて

 

ナリ君が独演会で教えてくれたことというのは

 

嫌いな人の画像などを見続けるというものでした。

ただじっと見続けるのだそうです。

嫌いな理由は多分人それぞれですが

自分が受け入れられない人

それは心の奥で見下していたり、批判していたり

だから、見苦しいんです。

体って正直ですよね。

 

ワナワナしながら尚、見続けるんですって。

 

簡単そうですが、まぁ結構見続けられないんですよ。

以前の私の経験がそうだったように

見続けるって結構きつい。

写真でなくても

自分が強烈に否定してる人とかは

見ちゃいけないになってたりします。

つまりは偏見の眼差しです。

 

目を逸らすが体の素直な反応です。

 

反発をかうようなことを書くのですごく怖いですが、

例えば私の場合なら

太ってる、ブス、障害を持ってる人とかです。

 

これは私がそのことで傷付いた過去があるからだと思います。

ほんの些細な一言に過ぎないのですが

だから

見れないんです。

目を逸らすんです。

 

反応した写真家というのは

ダイアン・アーバスという人で

彼女の撮る人達は

美しさで魅了するというより

どこか危険を孕んでるような感じで私は見てました。

 

残念ですが

これが今の自分です。

 

それで話しを戻すと

見続けると時間と共に

そのワナワナが薄くなり

その人に対して抱いてる自分の感情やら

考えやらは薄まって行くそうです。

 

 

 

体はちゃんと嫌って反応してました。

 

写真を見続けることは結局

自分が批判するそのものになる作業

のように思いました。

 

今まで私がやってきた事

つまりは自分の欲を行動に移す際に出てきた葛藤と向き合うというのが

似たような感じがします。

 

例えば、

お金を取りに行こうとする自分とか

借金するとか

嘘付く隠すとか

わがまま言うとか

過食嘔吐するとかも

 

 

自分が欲しいものを取りに行こうとするときに

劣等感があると一緒にくっついてます。

自分がいけないと思ってることかが。

 

自分の欲しいを満たそうとすると

いけないと思ってることもそこで露わになるんです。

 

 

あれは無いわとその人見て判断してる

それに自分がなるんです。

 

それを自分が1番否定してるから 

その自分にはなりたくないんですが。

 

 

 

自己否定なくそれができるようにするって

それがあっても問題じゃないって

しちゃう自分でいいやって

言えるまで

苦しいですよ。

 

でもそれしてから安心する時間は増えました。

 

だって、自分の中で自分を否定する声は

どんどん減っていったのは確かだから。

 

でもまだですよね。

 

私は本音を人には伝えられてないから。

 

まだいい人やってるから。

 

自分を幸せにできないのは

幸せではいけない自分だから

自分でその許可を下ろせないんです。

 

あれを得るにはこれを得るには

この条件が必要だから

 

その条件を満たせない自分では

何も受け取ってはいけないんです。

 

でもその自分を保留にして

好きなことを少しずつ自分に許したい。

 

自分の為の特別な時間を少しずつ。

 

 

 

あ、またやってますよね

今の自分を否定する。

 

本音を言えない今の自分が気になりだしてるってことですかね。