不器用さんの幸せエッセイ集

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感情との付き合い方の続き…「怒りについて」

 

「自分には怒りがちゃんとありました。」

 

それは告白に近い程

私の中ではそれをなかったことにしていた、と言うのを

出してからますます実感します。

 

 

 

この記事の続きになります↓ 

haruradio.hatenablog.com

 

 

嫌な感情を認められたのは

母のお陰でした。

 

 

もっとゆったりした大人の過ごし方や振る舞いが出来ると

ずっとどこかで期待してました。


自分の嫌いな部分は成長するにつれ

子供のような、わちゃわちゃした自分は

「変わる」ということで消えていくと期待していました。

 

感情も安定し

優しさで誰かを包めるような

そんな安定感。


でも、私は幼い頃から

塀によじ登り、男の子と良く遊ぶようなやんちゃな部分が多かったので

元々、自分が欲しがるような上に書いた要素は

どこにもないんですよね…


いくつ歳を重ねても

そのめまぐるしく出てくる様々な感情に振り回されながら

行動することには物怖じはしなかったのも

子供の要素が大きいからだと思います。

本当は大人しくはないし、言いたいことは言うし

どちらかといえば

ちょっと煩わしい感じもあったりで

それをなかなか受け入れられませんでした。

そこを自分が嫌っているから

これでは

社会という場所では上手くやっていけないと

自分でそれを封印したんです。

でも社会で上手くやる為の

自分を取り作っても

ずっと自分が疲弊するばかりでした。


嫌っていても

それは消えることなく

むしろ押さえ付けてる分だけ

余計あることに目がいってしまうように。

 


私は自分を封印してからは特に内弁慶でした。

 


外で自分をコントロールしてる分、

家族の中ではやりたい放題だし、わがままや

自分の気持ちが爆発して

不機嫌をそのまま当たり散らしていました。

どうしてもそうゆう態度でしかいられない時期がありました。

 

自分でもコントロール出来ないほどで

家族には悪いと思っていても

そうすることしかできませんでした。

罪悪感が募って行ったのは言うまでもなく

それでも傲慢でわがままで、常に苛立っていました。

その罪悪感から、この時が一番自分を責め立ててました。

 


そして私は外側では

ちゃんとしてるとか

いい人だとか

迷惑をかけない人という所でやろうとしていて

私だけはそんな風に心が綺麗である

というアピールを外に向けてしていたかったのだと思います。

イラ立ちが湧いた時に

それをとっさに隠そうとすることにずっと気がつけなかったのは

自分の理想とする所が

そうゆう苛立ちや怒りを

「人を傷付ける感情」

「醜さ」

として定義していて

私自身がそれになりたくなかったからです。

 

そうやって欲しい物のために

私は努力を続けていたのでした。

 

あの時嫌っていて、溜め込んだ怒りは

今、感じるたびにあえて出すようにしています。

 

罪悪感を持ちながらではなく

苛立ちを怒りが出たなら

あえて心の中で密かにそれらを言葉に込めて。

 

そうできるのは、

受け止めてくれた人があの時いてくれたから。

 

家族という場所は

甘えさせてくれる環境だったというのを

今更、有り難く感じるのです。

どんな私でも、一緒に居てくれていた。

 

 

そして

自分の中にある苛立ちや怒りを

引き出してくれてる相手にも

感謝ができるようになりました。

 

嫌な自分さえ心の中で誰かと関わらせたら

家族のように思えるような場所が

もしかしたら増えるかもしれない。

 


そして怒りは、誰かを傷付けるものではなかったです。

私が傷付きに行ってるだけでした。

 

傷付く私が消えないまま、そして傷付いていてもいいんです。

今はそれがある自分を嫌わずに居られるから。

私が私を大丈夫にできるから。

 

相手は伝えたいことを

勇気を持って伝えてくれてる。

と言うのが最初にあるだけでした。


だから自分も

相手に伝えることができる勇気をもちたいと思いました。

 

我慢するのではなく

関わり合うこと。

そこにはどちらもあります。

 


壊れてしまうかもしれないし、関係性がより深まるかもしれない。

 

私は家族の前で表せていたからまだいいのです。 

 

きっと「〜してはいけない」と制限をかけて

その本音を誰にも言えずにいる人はいるのではないか?

そう思うことがあったから。

 

自分の気持ち、大切にしてますか?