幸せのためのエッセイ集

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感情との付き合い方

嬉しい気持ち、楽しい気持ち…

それらは心地の良さがあり

 

怖い気持ち、悲しい気持ち、怒る気持ち…

それらは不快な気分が伴います。

 

生きていたら心地良さだけ

というのは難しいです。

でも難しいと留めておけるくらいならまだいいのです。


自分に出てきたこの感情と上手くやれないと

とても生き辛くなります。

私自身がそうであったように。

 

そのことで悩んでいる人も多いのではないでしょうか?


感情との付き合い方もたくさんのメソッドがあります。

 

心のことはその説明が

それを伝えてる方の理解のままで受け取ることができない場合があります。

 

以前の私は感情というものへの付き合い方をだいぶ間違えていました。

 

例えば、「感情を感じる」

というのがあるのですが


一生懸命不快な感情の中にどっぷり浸かって

不快で苦しんで自分でそこに留まり続けてました。

そうすれば、その苦しみから抜けられると思っていたからでしたが

それが感情を感じるではなかったのでした。

 

苦しんでいんでいる、という状況は

感じてるつもりで何かを感じてない、認めてないなどのサインです。


苦しみがあるというのは

自分の状況に制限を自分でかけているから苦しいのです。

だから苦しみは感情ではないのです。

私は苦しみが感情だと思っていました。

 

苦しみがやって来たら

自分が自分自身の首を締めてるよってお知らせ。


自分で自分にダメ出しをしているからです。


例えば、

怒りがあるのに

悲しみがあるのに

寂しさがあるのに

それらを抑圧する、蓋をして

見ないふり。


どの種の感情に囚われているのか?


私の場合は、理由も分からないまま

恐れを示す相手がとても多かったのですが

 

恐れが出る度に、それは自分が弱いからで

強くなったら

誰かや何かを恐れなくなると思って来ました。

 

上の理由からだと

弱い自分や恐れている自分を排除する為に

そんな自分を責め続けます。

 

でもこれでは

自分の中で対立の構造ができてしまい

心の内で争いや葛藤が消えません。

 

その時に出る感情をただ認めていくことや

それらがある自分でも構わないというスタンスでいることが

苦しみを軽減させます。


だからまず私は恐れている自分でも良い

ということから始めました。

恐れている弱い自分がいるということです。


そして今でもその恐れというのが

人や状況によって強く出ます。


以前から言われていたことの1つに

「恐れの裏に怒りの抑圧がある」

ということを色んな方に言われて来ました。

私はこれを、本当になかなか認められませんでした。

 

でもようやく、それを認められそうです。

イライラがやって来た時に

心の中で、ちゃんと怒りました。

相手に向かわなくても、心の中でちゃんとその怒りを表現しました。

例えばこんな風に↓

 

k-nali.hatenablog.com

 

 

怒りを表現したら、それがよく自分に返ってくるなんて言います。

ずっとそうゆう方を採用してきたんです。

それにやっぱり怒ってる自分を認められなかった。 

怒りに醜さを重ねていたから

私はそれになりたくはなかった。

 

でもちゃんと沸いたものをその都度処理していくと

不思議と、その怒りが始まった先に

感謝や居心地の良さがあるのでした。

 

自分の心に嘘をつかない、

出てきたものがネガティブであっても

ポジティブであってもちゃんと見て

あると認めていく。

あると認めるというのは

相手に向けなくても自分の中で

それを表現する。

 

イライラしてはいけないのではなく

イライラしたのなら、出たのなら

その自分はいませんなんて、もう言えないのだから。

 

 

心の安定を求めて来ましたが

安定など、どこにもないのだなと今は思います。

 

不安定が続くというような

希望のなさではなく

先にも出てるように不快であるというのは

ある種のサインなのだと思うからです。

 

自分に制限をたくさんかけてるほど生き辛い 。

 

そうゆう制限を自分が自分にかけているよ、

というのを人や機会や出来事を通して

自分のネガティブな感覚がやってくることで教えてくれます。

 

それを自覚してるってラッキーです。

それをどうにかしたいと思って行動するなら

その行動が自分を救います。

 

 


私達は生きていくための色々を

両親から育てられることにより肌で学び

学校や社会という沢山の人の集まりの中からも学んでいきますが

 

例えばその出会いの中で、

傷付いた経験なども出来ていくかもしれません。

そして人はその痛みから

同じような状況や人に触れないような選択をし始めます。

 

でも出会いや状況の全てを

コントロールすることはできません。

だから自分が変われば、ということを探し始めます。

 

でも、変わることではなく

それがあっても何も問題がないという事を知った時に

その苦しみはスーッと消えていきます。

 

自分が求めるものというのが

今の自分のココはダメだから

そうではない、こんな自分であれば上手くいく

と思い込んでいる時があります。


今の自分を否定した先の未来に期待しても

それは得られません。


良いと悪いを決めたのは自分です。


こんな自分では嫌われてしまうという恐れから

自分の中に沸いたものを否定することがないように

それはどんなものでも抱かれたのなら

見ないふりは長引かせないほうが

とても楽な時間が長くなっていくのは確かです。

 

 

 

そもそも、感情というものに「自分の」と付けてしまうのさえ

何の根拠もないかもしれません。

 

今は色んなことが研究されているのは確かです。

そうなる仕組みがあるだけです。

それを責める必要は、あるのでしょうか?

 

色んな人の色んな伝え方を

自分なりに理解して過ごしやすく。

 

 

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