不器用さんの幸せエッセイ集

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ネガティブな感覚から逃げない覚悟=自分を大切にすること

 

ここの所、ずっとモヤモヤしていた。何も心が動かなかった。

まるで感情が消えてしまったような

見えないものを言葉で表現するのは難しい。

 

前にもこんな感覚に陥ったことがあった。

それも所謂満月だとか新月だとか

エネルギーが強いとされる直前だった。

 

それで今回は、もうすぐ春分

春分を前にスピリチュアルの世界では

大天使ミカエルさんからのアセンション予報が発表されている模様。

どうやら世界は二分されていくらしい。

 

私はスピリチュアルを都合よく使っている時がある。

自分のモヤモヤの原因を、そうやって目に見えないもののせいにしてる。

 

でもそんなモヤモヤする夜に

今回は自分で自分の中を調べることにした。

いつものように春分の日のめでたい境目のせいにするのではなく

この自分の垂れ流してる居心地の悪さについてを。

 

ネガティブな感覚に陥る時、そこには原因があると思うから。

悲しいとか、イライラするとか

はっきりわかる感情ではなくて

言いようのないモヤモヤで無感動。

 

見つけにくい。

何かがきっかけで悲しくなったり怒ったりではない上、

感情の種類が何なのかはっきりしないから。

モヤモヤして晴れない。

 

でも、この感覚はもしかしたら無価値感とでもゆうのだろうか?

 

近い予定で自分が立てたイベントがある。

私は、お金を稼ごうとそれを行動に移した。

それはちょっとした勇気が必要だった。

 

なぜなら、自分の売り物を出しても

反応が全然ない、というのが怖かったから。

 

でもやっぱりそうなった。

原因はそれじゃないのか?

 

本当は見て欲しいし、来て欲しい。

でも、うまくいかないことなんて想定内だったはず。

社会の中で、お金は怖いものや汚いものと避けて来て

お金より価値がないと思い込んで来た自分がやるのだから

いきなり上手く行くわけじゃなかろうに。

 

私はお金を稼ぐという事をやるときに

こうゆう周りの反応に耐えられる自分がいるか分からなかった。

 

つまりは、これをし続ける覚悟があるかどうか?

 

出てくるであろう色んな想い

特に売れないことが恥ずかしさに繋がること。

そして恥ずかしさがある理由は

売れないのに頑張ってる人をどこかで見下してるから。

 

「恥をかきたくない」

 

起業しても稼げないとか、あいつはお金の亡者だとか

そうやって人のこと無意識に見下してる。

自分は恥なんてかかずに綺麗にやりたいと思ってる。

 

去年末に自分で今同様に募集をかけたり

アクセサリーを出店してみたりした。

趣味の範囲を超えてみたけど、全然だった。

 

その時の自分の痛みがまだ痛みとしてあるままだから。

 

私はがむしゃらにやってる人をどこかで嫌ってる節がある。

それはみっともないと思ってる。

自分はもっとスマートにやりたいと思ってる。

 

でもそれはなぜか?

 

その人のゴールしか見ないで、その裏を知らないから。

どんな想いを超えて来たか知らないから。

成功しか見てないから、完成しか見てないから。

 

 

もう一度、自分と向き合う為に質問をした。

 

なぜ稼ぎたいのか?

なぜ会社に雇われるではダメなのか?

 

「私は生きている事に情熱を感じたい」

「充実を感じたい」

「仕事を楽しめる人になりたい」

「どうせならふざけてるくらい面白いことの方がいい」

 

自分の中でお金が1番だったのが

どうやら時間の方が大切かもしれないという感覚がやって来ている今

生きている内に感じられる幸せな時間は

自分にとってどうゆう時間のことをいうのか。

 

今のままでも、仕事に情熱的に取り組めるかもしれない。

今の職場の人たちはすごくいい人達だし

仕事も一生懸命やれば面白くなるだろうと思ってる。

だからできるだけ、そうするようにはしてるから

それなりに面白くもなりつつある。

こんな風にできる自分も初めてで有難くもある。

 

でもそこは体を壊せば生活自体回らなくなるような

働き方と時間の使い方なのだ。

 

今までと同じような働き方をする事は

当たり前なのだろうか? という疑問。

 

そんなギリギリで暮らしてる自分で良い訳ないと思ってる。

本当は人からどう見られるかなんて、

そんな流暢なこと言ってる余裕なかったりする。身体の不安もそう。

だから身体に鞭打って、

単純にたくさん働けば良いなんて言ってられないのが本音。

 

人生、質より量っていいのか?

 

そうゆう自分なりの動機からやり始めたのが

自分で売るという事。

でもこれも自分なりの実験なのだと思う。

 

お金と関わろうとすることは

人と関わることだった。

同時に自分と関わることになる。

正確には、お金で出てくる自分の「思い」と関わることになる。

 

 

その自分との関わりに覚悟ができるかどうか?

 

色んな出会いと関わりの中で生じる自分の想いを

どこまで面倒見れるか?どこまで見捨てないか?

自分の見たくない部分や避けたい感覚も出て来てしまうその時に

自分は目を逸らさないで受け止めてあげられるか?

 

覚悟って

頑張ってどうにかするとか

自分を追い込んでとか

辛い思いを自分に課すことが覚悟なんじゃない気がする。

 

ワクワクキラキラもドキドキハラハラも

両方を経験として受け取る。

誰かと関わることで露わになる自分の心を

自分でも知らなかった色んな感情の隅から隅までを

愛していくことのような気がする。

ネガティブでポジティブな自分を。

 

 

 

私がスピリチュアルな世界はないとは思ってない理由は

そうゆうことなんだと思う。

 

人はいつもどちらか一つではないから。

 

見えるものであり、見えないものでもあるから

精神と肉体で出来てるから

陰であり陽だから

ネガティブでポジティブだから

子供であり大人だから

例えば体は女性でも、男性的要素もあるから

昼は現実を生き、夜は夢を生きているから

意識であり、無意識であるから

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今の私に至れたのはタダじゃない。

でもお金にも変えられない。

今の私があるのは、自分でも投げ出していた自分の事を

精一杯支えてくれた人たちが居たから。

そこにお金を払って繋がりを求めた自分が居たから。

お金がきっかけでも、その繋がりは愛情だったから。

 

そしてやっぱり家族や友人が居たから。

 

お金もかかったし、愛もかけられていた。

 

やっぱり両方だった。

 

 

 

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その天使michaelの歌声

 

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