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日々のこと

fantasiaの為の研究ブログ

お金を出すという経験

お金を払うことは行動で

お金を稼ぐ事も行動。

 

だからお金にまつわる事は目に見える側の方。

 

でもその出すという行動を支えてるのは

感情や価値観や考えなどの見えない側の方。

 

お金を出すってその金額が高いほど勇気がいる。

でも、高いと思う額は人によって違う。

ドキドキする額を出すことが

自分の決意や覚悟や勇気ともいえる。

そしてお金を中心に必ず交換が行われていることを

自分も含め今の人は忘れがち。

 

お金がなかった時代は

直接その価値を交換していた。

お金ができてから、

その価値と価値の間をお金が取り持ってるお陰で

交換できる価値の種類は限定しなくてよくなった。

 

そして今は、その価値も

目に見えるものから見えないものまで様々になった。

 

お金という物質は現実世界の代表のような存在だけれど

それを介して買うものが無形の場合は特に

お金という行動を支えている裏にある

見えない側の自分の思いが出やすいのではないかと

考えるようになっていて

 

払うことで、自分が何を引き換えに受け取れると思っているのかが

現れる気がする。

 

払うことはいつもすごく意識が行く。

払うことがいつも損なうことに直結していた。

お金だけ見てた。


例えば

野菜を受け取っていて、

カフェで美味しいコーヒーやゆったりした時間を過ごせていて、

毎日帰るお家があって、この街で暮らせていて…

 

そうやって必ず受け取っているものがあるわけで

でもそれに関して私の場合、かなり無意識になりやすかった。

 

この時は、本当に感謝が少なかった。

 

でも、夢ノートっていうなんなのかよくわからないけど

ちょっと気になるものにお金を出した時に

私は自分がお金を出すという行為の裏側で

何を受け取れると期待していたのかが明らかになった。

 

それはもちろん夢ノートだけじゃなく

あの頃から無形のものにたくさんお金を払うようになった。

ヒーリングや情報商材に講座への参加…

 

お金だけしか見てないから

目に見える側しか見てないから

自分が受け取れる物しか見なかった。


そうやってお金さえ払えば、

自分の欲しいものが手に入ると勘違いしていた。

 

でも、私が喉から手が出るほど欲しかったのは、

お金という目に見えるもので簡単に手に入るようなものじゃなかった。

それを教えてくれたのは、見えない方ではなく

お金という目に見える方の経験からだったのだから

なんというか…。

 

私は見える「お金」に

自分でも見えてない自分の「在り方」を見せ付けられてしまった。

 

お金出すからなんとかしろみたいな傲慢さや

お金の量で自分を低めたり高めたり(相手を見下したり、崇めたり)

いつでも対等な命をお金にすり替えて優劣をつけて

そうやっていつでも比べていた。

 

収入、仕事、容姿、能力、センス…

上げればきりなく出てくるそれらを

比較して振り分けて判断していた。


お金の裏側を支える見えない側の考えが

そんなんばっかりだった。

お金がとても醜く汚いものに見えたのは

自分がそれだったからだった。

 

でも、そんな自分さえ

もうどうにもできなかった。

人間だから、そんなことも当然あるだろうって諦めながらも

お金を払うと行為の裏には

その日までに売る人達の努力や行為が想いが必ずあるという方にも

目が行くようになった。

 

無形のものをにお金を払うほどに

お金の裏で支える自分の見えない方の在り方や考えや価値観や信念が影響する。

だから、自分のことが嫌いなほど上手くいかないし

信じない程その価値を受け取れないと思う。

 

だから私は上手くいかなかった。

 

でも上手くいかなかったおかげで、これを書けている。

その遠回りな経験が今に全部繋がっているのだから

私は自分のしたいことを謳歌してるのだろうな。

そう思うと、全てがありがたかった。

 

そして、稼ぐということも

同じことが当てはまるのではないか、と考えていて

お金をもらうことの裏側に

私はお金と同時に何を受け取ってしまうと

恐れているのか。

 

収入と支出のバランスの悪さも

その裏を支えているのは自分の思い込みや考えや感情などの

見えない方で

 

お金はそのことをただ見せてくれる。

 

これからは実験をするように行動を重ねるしかなくて

お金でなくても、例えばやってみたいけど怖いと思うことに

ちょっとした勇気を出すと

表面では分からずにいる、深層の自分の在り様が見えてしまうから

その正体と鉢合わせするのにビビってるんだろうなと思う。

 

だってそれを受け止められるか、自分でも自信がないから。

 

でも怖がってる時間を無駄に伸ばして、結局やらなければ

今と見てる風景がさほど変わらないと思うと

やっぱりそれは面白くないって思っちゃう。