不器用さんの幸せエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

お金を失ってみました。

自分の信じてる事を人は疑う事はしない。

 

と言うか、疑えるならそれはもう

当たり前じゃなくなってるのかもしれないけれど。

 

 

 

でも、それを信じてるのは

本当にみんなもそうだから、だろうか?

みんな当然そう思ってる、のだろうか?

 

100人いたら、100人全員だろうか?

 

それとも、1:99だろうか?

それとも…

 

 

1人しかいなかったら、それは間違い

なんだろうか?

 

 

共通の認識は、共通の環境の中で育つ。

 

だからその時代を生きれば

当然その時代の影響を受ける。

 

私達は今、とても便利で豊かな時代を生きている。

なんでも揃っている。

今いるこの国は小さいのに物質的にはとても豊か。

 

水はタダで飲むことができる。

トイレも綺麗なトイレを貸してもらえる時代。

食べ物も捨てるほどにあり

毎日体を洗うことができ、

洋服はすぐに洗うことができ

寒ければ暖かく過ごせ、暑ければ涼しくもできる。

 

 

何もなかった時代もあったはず。

でも今はお金で揃えることができる。

 

 

私はそれを知らない。

経験したことがない。

 

昔を知ることはあっても

今を生きてる私は、それを想像することくらい。

 

 

でも、この生活から自分が少し逸脱する様なことがある時

しかも自分だけという時

 

 

今のこの生活は、お金があるから

なんだろうか?

 

働いているから

なんだろうか?

 

やむ終えず、という理由が

誰かのせいでも、状況のせいでもなく

自分で招いたとして

 

それをしない人は悪なんだろうか?

 

 

 

 

働けるのに働かない選択を恐れていたことがあった。

 

でもそれは、なぜだろうか?

 

お金を失うことで、1番恐れていることはなんだろうか?

 

払えなければ、便利を1つ1つ手放さなくなる状況を想像して

義務を果たせないことを想像して

 

それは人からの信用を失い、人からの白い目を買い

 

人から見離されることじゃないだろうか。

 

便利な「生活」ができなくなることを恐れているのではなく

お金で買える便利な生活を維持できる「自分」を失うことが

ずっと怖かった。

 

私はそうだった。 

 

その恐怖に触れる機会を、自分で作ったから

ここに今、何がそんなに怖かったのかを書いてる。

 

私はものを失うことを恐れたのではなかった。

人の評価を失うことを恐れていた。

見離されることを恐れていた。

両親さえも私から離れていくだろうと恐れていた。

 

でもそれは、自分が他人をそうやって見てるからだった。

自分がお金を払えない人について

そうゆう評価を下してるからだった。

悪にしたからだった。いけない人にしたからだった。

だらしがないことを許せないからだった。

ルールが守れないことが許せないからだった。

 

そしてそうゆう人がいたら、「私が」突き放すからだった。

私の中にその冷たさがあることはもう隠せなかった。

 

なぜ愛せないのか?

 

我慢してる事だらけだからだったから。

 

 

 

 

 

 

本当はあなたより、誰より、何より

 

自分が自分を責めるから

自分が自分で我慢してるから

 

それが1番強いって知った。

誰かの白い目よりも強かった。

だってそれを作ったのは私だから。

 

白い目の数はきっと

自分が自分を見張る数なのかもしれない。

 

今も尚、恐怖は何度も顔を出すけれど

それにはもうお手上げで

 

自分の冷たさも当然だった。

 

 

 

 

 

「人間、みんな病気です」

そう言った人がいたそうな。

 

詳しくはここから↓

人間、みんな病気です 第四部 中休みコラム | 無意識を知ろう♪極楽とんぼの精神分析学入門

 

 

本当は、そのままで今すぐ幸せにはなれるのに

それに条件なんて付けるから遠く離れてく。 

 

身体を洗えなくて気持ちが悪いと言える今は

とてもありがたいと思う。

少しでもいつもと違えば愚痴を言い、

気に病んでしまうような心の忙しなさを諦められるのは

非日常を経験した人達だろうって。

 

違う時代の人からしたら

今の当たり前に共感されることって

あまりないのかもしれないと

 

ふと、思ったりした。

 

今の自分の中の常識も、

時間や場所を外せば誰かの非常識ってことになりはしないだろうか。

 

 

この経験は、私の中で人生のターニングポイントにもなり得る程

大きいものになってる。

 

自分の価値観が崩壊したのだから。

あんなに鉄壁だと思っていたものが、ボロボロと脆くも崩れ去ってく。

 

でも、今まで信じていたものは間違いだったなんて言わない。

だって、信じているならそれはあるのだから。

 

ただ変わっただけ。信じているものが変わっただけ。

そんな価値観では苦しすぎるから

「生きる」のなら

もう諦めるしか道が残されていなかったから

選択肢がそれしかないと言えるほど、追い込まれた…訳じゃなく

自分で追い込んだ。

そうまでしないと、私は気付く事ができなかったから。

 

いつも選択の余地はあるし選べる。

そして人は日々選択し続けてる。

 

自分の望みにそって、その選択に恐怖が伴う場合

自分的タブーに踏み込む時など

ある意味時間をかけずに信念を壊す事は出来るのかもしれない。

 

その選択を誰かや何かのせいにせず

最初から最後まで全て自分の選択なんだという責任付きでだけど。

でも、責め出すと終わらない。それは自分自身も他も。

 

責めることは解決ではないから。