幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

仕事が続けられなかった理由と責任について思うこと

責任て

その責任をとるって

 

ずっと責めること=苦しむこと

だと思ってた。

 

例えば、誰かが責められ炎上

例えば、責任の重さに耐え兼ね自殺

例えば、晒し者にされて叩かれる

とか

 

そうゆう事件やニュースに触れたりしてるせいもある気がするけど

罰を与えることだと思ってた。

 

だからいつも責任て言葉に怖いものが付きまとってて

でもそれって

いじめの構図に似てると思った。


約束を守れないとか

裏切りとか

だらしないとか

なんかあまりいい(うまい)言葉が出ないけど

そうゆう事も出来ないヤツは

苦しむのが当然だと思ってる所があった。

 

「苦しむのが当然だ」…か

 

悪い事をしたものは罰を受けるのが当然だ…か

 

このルールってどこからきたのだろうか?

 

 

ましてや今の自分に遠い人のことにまで

そんな責めるということを

無意識にやってしまう心理って一体何なのだろうか?

 

自分自身にもそれを当てはめて

他人にも当てはめて


出来ない自分を責めて

出来ない他人を責めて


どこかで自分の言い放ったことや行動で

自分でその約束を果たせなくて

自分で情けなくなった時に

自分で責めることを

他人から責められることを

簡単に受け入れてしまうのは

(他人を責めるというのも同じだけど)

 

そうゆう厳しさがあるのが社会という場所だと

思ってるからなんだろうな。

 

私の中で社会という場所は

そうゆう所と思ってるんだろうな。


だから、とても厳しくて怖い場所が社会だと思ってきてた。

だから、厳しさを愛情と捉えることが出来なかった。

だから、それがどんな厳しさでもちょっとでもあればもう耐えられなかった。

だから、仕事が全然続けられなかった。

 

でも

責任て

多分今の私にとっては

自分の選択でどちらを選んだにせよ

 

そのことでどんな出会いがあっても

どんな出来事が起こっても

どんな自分の気持ちが出ても

 

幸せで居続けると決める事が

生きる上での責任なんだと思ってて

 

悲しくなっても、辛くなっても、疲れても、楽しく居られなくても…

 

それでも自分を幸せな気分にするには

どうするかを考えたり

なるべく堕ちてしまいそうな気持ちでいる時間を

短くしようとしたり

その環境でも

幸せでご機嫌な自分の為に何をするか探そうとしたり

見つけようとしたり…

 

そう過ごそうとすることのような気がする。

 

その上で

何かを「やめる」という選択があったり

「続ける」という選択があったり

「する」という選択があったり

「しない」という選択があるのだろうな。

 

 

私は無条件に「やめる」という選択しか

選ぶことができなかったんだ。

 

なんて不自由だったんだろうか。