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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

求めているうちは手に入らない。

ここに残してることは

自分が自分に言い聞かせていることのように思います。

 

あなたはこうゆう考えで、こうゆう生き物だと。

 

だから書くことは、限定するや制限するということにもなるのです。

 

言葉は自分が自分を決めてる解釈そのものだから

私が今ここに書き記すことは

今の私という入れ物の輪郭をハッキリさせている作業のようにも思うのでした。

 

でももう1つ、

言葉に役割があるとすれば、それは

あなたの解釈も1つではあるけれど

別のもあるよ、と

伝える事です。

 

別の経験を他者を通して知るという事。

他者の知識に感覚に触れるという事。

 

例えば、もしこれまでがキツく柔軟性のないカタチや輪郭でガチガチなら

それとは別の入れ物のや輪郭もあるよと。

 

 

 

 

過去の出来事や経験に苦しんできても

それとは別の生き方ができる可能性を人は持っていますが

それをするには、「知る」ことは外せないと思います。

 

もしかしたら言葉はその為にあるのかもしれません。

 

苦しいということは、

自分の今やってるのその方法や思ってることや価値観や枠組みや

信じてるものや…

それによって自分自身を制限の中に押し込めてる気がするわけです。

だから窮屈、当然苦しい。

 

私はそこから逃れる為に

たくさん知ろうとして来ました。

 

でも言葉も知識も

その両方なのです。

 

制限を作ることにもなり、制限を外すことにもなる。

だから、それが唯一の答えとも言えないのです。

 

そして、それは生きるという上で、全てに当てはまることでもあります。

 

例えば、同じ状況や出来事を経験することになる人間が2人いるとして

その2人が同じ経験を語るかと言えば、そうとは限らないのと同じように。

 

 

そうなると、私から見えてるこの世界は

嘘とも言えてしまえるし、本当とも言えてしまえる程度のもので

 

でもそれを決めているのは

自分の解釈や信じてるものなんだろうと。

 

 

自分の生に影響を与えているのは

 

『紛れもなく自分自身』

 

 

 

 

この日記の1つ前に書いたことは、

願いが叶いましたと言いたかったけど - 日々のこと

求めまくって、でも手に入らないという現実と自分への嘆きでした。

感情が出たので取りあえず出しっ放しにしました。

 

今、ギリギリの現実があります。

 

でもそのギリギリという緊張感や苦しみは

ある種、限界突破になるか

元の木阿弥になるかの境目のようなタイミングというか

巡ってきたチャンスとも言える気がして

 

求めまくるという経験を通して出てくる

蟠りや冴えない感じの膿みたいなものは

できればあまり経験したくないものではあるものの

自分が自分にしてきてる無自覚の制限や解釈や信じてる事が浮き上がって

自分でもそれを掴めるくらいに分ってくるタイミングだったりします。

 

無自覚のものが自覚できるという事は

その制限を外すタイミングとも言えて

だから、その時に下す自分の選択で

未来は変わります。

 

 

今までとは違う未来か、それとも見慣れた未来か。

 

 

これを書きながら、私は自分を実況中継してる気分がして

 

結果も何も出てないけれど

でも、結果が出てから誰かに伝えるよりも

その方が面白いからで。

 

「やっぱりダメでした」でも

「なんか今までと違った現実になってきました」でも

実況してたら結果なんてどっちでもいい気がしてきてるからで。

 

 

そして感情を出しっ放しにしたからか

私が自分で自分をどう判断して解釈していて、

そしてこの世の中はこういう世界だと

自分が信じてるものを壊してくれるような新しい解釈を

さっき本というツールから得てました。

 

今求めまくってるという経験が

今までの自分の解釈や信じてる事にヒビを入れ始めて

 

自分以外の他者の経験や解釈を、紙の上の言葉から伝えられて

今自分に入ったヒビに影響を与えようとしているみたいに。

 

 

 

 

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自分には何も出来ないことを

 

私はお金をかけてまで証明したかったのだろうか?

 

そしていつものように

 

どうせこの程度で、やっぱり私には何も出来ないと言うオチで

 

毎度毎度同じ選択を繰り返そうとするのだろうか?

 

いつまで同じ事を繰り返すのだろうか?

 

私は何も出来ない、所詮この程度の自分という大きさに限定して

 

それをいつまでも信じる事を 。

 

 

ameblo.jp

 

 

 

私から全てが決められ、全てが始まり、生産され続けられている。

 

良いことも、そして悪いことも。

 

だから、量産されてるものの影響を受けるのは

 

当たり前のこと。

 

求めてるうちは何も手に入らないけれど

 

それを知るのに

 

私は求めて、執着して、落胆し、嘆いて

 

そうゆうネガティブな経験を今、通過しました。

 

ここに書いたことはきっと本当できっと嘘。

 

だったら、不真面目くらいがちょうどいい。

 

嘘か本当か、正しいか間違ってるか、良いか悪いか…

 

振り分けてどちらかをいつも決めてるのは私。

 

自分の人生に影響を与えてる唯一は私という生き物。