読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々のこと

fantasiaの為の研究ブログ

3ヶ月間、よそのお家に住まいました。

農業バイトの生活も終わりです。

期間限定八ヶ岳うろうろも10月はあまりうろうろ出来ませんでした。

というか、やっぱり3ヶ月は長かったと実感。

 

沢山の経験をしましたが

よそのお家に入るとその中でのルールみたいなものはやっぱりあって

何を大切にしてて、こんな風にしたくて、そんなことは気にしなくてもよくて、でもここは死守みたいなのは

そのお家によって違うのでした。

 

自分のこうしたいああしたいの想いも、よそのルールの中にいるからこそ

はっきりしてきます。

3ヶ月という時間の長さが私のジレンマのタイムリミットだと再認識できて

そうゆうジレンマも次の原動力になるのを日に日に実感します。

なので、ジレンマという居心地の悪さというのは決して悪ではないのでした。

 

とはいうものの、次にどうゆう風にして行くか全く決まってないし

生活どうするの?みたいな不安もありますが

とりあえず、また帰ってからにします。

 

与えるのが好きな人たちの中で、沢山のものを与えてもらいました。

与えることが良い事だと思ってきましたが

でも良い事だからやってる訳じゃなかった。

ただ本当にその人達の喜びがそれだった。

 

その人達の与えるものを、拒んだ人は帰って行きました。

嫌だった人もいたのです。

そして私もその一人だと気付いてしまいました。

というか、そうゆう側面が自分にもあったと気付きました。

素直じゃない事かもしれません、捻くれているのかもしれません。

でもやっぱり、今の私は受け取れない部分もあるのだと思います。

それともお腹いっぱいでもう本当に要らない感じだから限界なのだろうと。

 

受け取らなければいけない訳ではなかった。

いらないものはいらないんだと。

与える事はすばらしい事だから、

それを受け取ることが礼儀だし、いい事だし、相手も喜ぶだろうし…

そうゆう義務のような、〜しなければいけないような

アタマで考えるものじゃなかった。

 

 

それを経験させてもらえた

とてもとても豊かなそして幸せな体験でした。

そして次に進めるのです。

ちゃんと自分の貪欲などうしたいが出てきました。

 

身体への執着から、身体を作る為の食べる行為を遠ざけたり

狂わせたりしたのかもしれませんが

それは身体での表現に憧れがあるからだと思います。

思い通りに動かせるしなやかな動きと身体。

 

身体を愛せないという強烈なコンプレックスと劣等感が

これからの自分の欲求に関係してくるのだと思います。

自分のパターンをまた繰り返してるだけかもしれませんが、

それでも、自分にしっくりくるものをやった方が断然動ける。

欲求に貪欲であれファンタジア。

 

ありがとうと、さようならと、こんにちは。

 

生きる喜びが泉のように湧き出ますように。

 

f:id:haruradio:20161101001933j:plain

 

f:id:haruradio:20161101002016j:plain

 

f:id:haruradio:20161101002028j:plain

f:id:haruradio:20161101002035j:plain

 

f:id:haruradio:20161101002124j:plain

 

小海にて。

「君の名は」まだ見てませんが、新海監督はこの辺の出身だとか。

 

毎瞬変わる空の色に目を眩ませながら。