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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

“頑張らない”と“受け取る”と怒りと人

今働いてる環境はパートのお姉さま方を除いて

私以外は男性です。

育てる農作物にもよるとは思いますが

農業は体力が必要なので、レタスや白菜を育てている川上村では

女性よりも男性が多いです。

ちなみにレタスや白菜と比べると、ほうれん草は体力的に楽みたいです。

 

そういえば前回の職場は女性の職場でした。

女性がめっちゃ頑張ってる職場でした。

みんなバリバリ一丸となって、目標に向かって…そんな場所でした。

 

続きませんでした。

あの環境では自分を出せなかったな、と。

 

今でもどこかで

あそこで勤めてる人達は素晴らしいと思っている所があります。

でも、残念ながら私には同じようには出来ないんだと

今更思います。

 

同じように染まりたかったし、頑張りたかったし

そうゆう風に働いてる女性に憧れていたんだと思います。

頑張った先にある成長や喜びのストーリーの主人公になりたかった。

 

煌びやかで強烈な憧れから見る人達や仕事。

とても遠く感じてました。自分がものすごく下に方に居ました。

謙遜や謙虚を使いこなそうとガチガチしてました。

 

 

今といえば、そうゆう頑張りは求められてません。

笑っていてほしいとか、雰囲気作りとか

本来メインの農作業以外の担当だったりします。

 

実はその事が、最近までなかなか受け入れられず

作業中もどかしさを覚えたりしていました。

私にもそれくらい持てるし、手伝えるし…と

他の人達と同じ作業をした際にちょっとだけ怒られそうになって

やらせてもらえない事に私は悲しみを覚えたのでした。

 

それと、私が畑で何かを運ぼうとする時も

いつも誰かが手伝いに来てくれるのですが

「大丈夫、持てるから」とその助けを拒んでいた時に

「女性はそうゆうのは素直に従った方がいい」なんて農家さんに言われた時には

この環境はまさに“頑張らない”と“受け取る”の実習か⁈と思うほどで

びっくりしてました。

 

そのくらい冗談でも緩めないし受け取れない部分は、無意識みたいです。

 

でもここでの女性の役割りが

畑では役に立たないし、求められてないのだと分かってからは

頑張る事も止めて、手伝ってもらえる事も有難くお願いしました。

だから畑に来てるのに私、本当に何にもやってないような気分になります。

でもそれは私自身が自分を認めてる場所を限定してるからだとも言えます。

悲しくなるのは、その仕事で認めてもらえない悲しさだし

みんなと同じ舞台で1番がいいと思ってるからです。

 

でもそんな所で頑張らなくても、

すでに私がやれる事で十分に認めてくれてるのです。

その事の方を見れば、ここでの私の仕事は

果たせてるんじゃないかと思えるようになりました。

このままで十分。この私で喜んでもらえる事。

今までどのくらい誰かの感謝を自分のエゴでスルーして来たのだろう。

そんな自分をザルのように感じます。

 

 

それと、今日他のバイトさんと話していた時に

怒られる事についての話しになりました。

彼は怒られる事が気になるのではなくて、

その人の怒る原因が気になると言ってきました。

 

怒られる事恐れるあまり、自分を変えようとしたり、ころしたり

どうしたらと探したり

そんな事ばかり繰り返して来たのに

 

今日のその一言で

私はいつも何を見て、どこを見てるんだろうと

改めて自分の見てる場所や方向のあまりの狭さにハッとしました。

 

誰だって怒りたくって怒る人はいないけれど

その人の怒る原因を知ろうとするというのは

アプローチだと思います。

怒りを見て恐怖する。その恐怖に触れたくないから遠ざかるのにね。

 

みんな恐怖を与えたくて怒ってる訳じゃない。

歩み寄れるのは、怒りの役割りを知っているから。

 

私はどこかで怒りは鋭い武器のように思っていて

だから、それがいつどこでどこから飛んでくるのかを

用心してるけど

でもそれは自分が怒りでひたすら傷付いた所だけを見てるからで。

 

怒る理由を知ろうとする事は

例えば恐れから、それとも大切な、守りたい、踏み込んでほしくない、あえて武器として、過去の出来事を繰り返したくないから…

色んな理由や原因の元でその怒りはあるのだろうと想像して

怒りを相手を知る機会として利用して

怒りを認めてる事のように感じました。

 

そんな角度でそれを見るんですね。

今日のとっておきでした。