fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

家族のカタチ

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今朝の朝焼け

 

 

朝焼けの話題がチラチラ聞こえていました。

きっと朝焼けが綺麗に見えそうという予感からだと思います。

でも車から降りると雨がちらついていたのですが。

 

仕事を始めて間もなく、

日の出を前に小屋の戸の隙間から赤く焼ける空が見えました。

今日はなぜかみんなでその赤く染まる空をバックに写真を撮りに外へ出ました。

ものすごく自然な流れでしたが、まるで最初からそうすると決まっていたかのような感じがしました。

でも全て偶然です。

 


東の空に気を取られてる間に

西の空も凄い事になっていました。

八ヶ岳の皆さんも綺麗に揃った姿を見せてます。

ここへ滞在していて分かるのですが、

雲がかかってスッキリ見えない事が多い八ヶ岳

そこになんと朝焼けで虹が!

赤く染まる山に虹って凄いタイミングです。

儚く消えて行きましたが、自然から凄いショーを見せてもらいました。

もうかないません。

大切にしたい美しさの中に今こうしていられる事が有難いです。

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今日はちょっと特別な日で

仕事を切り上げてボーリングへ連れて行ってもらいました。

 

 

清里辺りにかかる大きな橋

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 こんな高い所に仮面ライダー発見

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ボーリングの後お寿司を頂きました。

実は先週に続き2度目です。

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車の中から夕焼けに照らされた富士山も見えました。

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ところで、ここに来てから体重が2、3キロは増えました。

その事は私にとっては物凄く嫌な事だったりします。

過食嘔吐までしてる経緯があるので、太る事は許せないし

満腹感ですら嫌悪感でかなり生きる気を無くします。

つまり、食事を楽しむことをしてきてません。

自分が許せるタイミングや食事内容の時だけでしか

食事という行為に楽しむ隙間を与えられないんです。

 

食べるものや食べる時間や

例えばオーガニックや無農薬や手作りや無添加や…

1日に1食ならいいけど、2食、3食目に手を付けたその食事は

もう駄目な事をしてる感覚に陥ります。

食事=肥るという見方でしかないんです。

満腹感即、ストレスや罪悪感や不幸や駄目などだったりします。

 

食事に限らず、他にも自分の都合で楽しまないでいる事が多々あります。

今いる環境でその事が明らかになっていきます。

なぜなら人を楽しませたいと思っている人の元に居るからです。

だから楽しみを受け取れない自分が浮き彫りになっていきます。

 

今日のボーリングだって、正直面倒くさいと思えばそうなったと思います。

でも今いるベトナムさん達は

みんな純粋に楽しい嬉しいをめいいっぱい表現してきます。

日本人が苦手とする感情表現を顔や体いっぱいに表現してきます。

そうゆう環境も手伝ってくれてます。

 

つまらなくすれば、いくらでもつまらなくもいられます。

 

今の私は、楽しませたい人の側にいて

その希望に添えたらいいと思っています。

無理に笑っているかもしれないけれど、楽しませたい人が笑うなら

それでいいかなと。

そしてそんなスタンスで先にケラケラしてたら

なんかそれでいいんじゃないかと。

みんなが楽しいならそれでいいんじゃないかと。

そこには別に私でなくてもいいとか、スネもチラチラ出てくるんですけど

なんかそれでいいんじゃないかと。

 

お寿司だって、心の底で肥ると思えば途端に食べたくないし

逃げたい時間になりえるんです。

 

嫌だと思えば嫌な材料はいくらでも見つかります。

でも楽しもうと、喜ぼうと思えば材料はいくらでも見つかります。

どちらでもいいです。

 

でも今与えられた環境は

楽しみを見つけようとしてこなかった楽しみ下手の私に

楽しみを見つけやすくしてくれる場所のような気がしています。

まるで答えののってる問題用紙のような易しさです。

 

 

 

そしてここはもう一つの家族の疑似体験のようにも感じます。

子供たちへの愛情表現は親のオリジナルだと思いますが

与えたいものがあったら、どんな風にどうやって与えるかも

その親によって様々です。

 

私の母の話を聞いた時の事を思い出していました。

何かをしてあげたいという想いの元が

例えば私の母の場合、自分と同じ辛い想いはさせたくないというものだったり

父の場合は、自分ができなかったから子供にはさせてあげたい

と言うものでした。

 

比べてどうこうというのではないのですが、

そしてちょっとこれを書くのは自分の両親なだけに若干痛いのですが

出処が不幸なんだなと思いました。

 

楽しい想いを共有してる事が物凄く少なかったなと

今更ながら思います。

必死だったんですが、一生懸命だったんですが、真面目なんですが

自分が楽しんでないから子供にその楽しみがなんなのか伝わらないというか

一緒に遊んでないんです。育てるのに必死でいっぱいで

ただ「あぁ、楽しかった」とか

ただ「あぁ、美味しかった」とか

両親とそうゆうことを共有してる記憶が私にはあまりなかったりします。

 

私がここで親の分析をしても今更何にもならないし

親のせいだと言いたい訳ではないのですが

 

なんというか、なぜ自分を満たさないといけないのかが

物凄く腑に落ちるというか…。

自分が楽しむ事がどれだけ人に影響を与えるのかが分かるというか…。

 

こうやって自らの人生そのもので与えてくれてると思うと

私の両親は偉大だと思います。

 

受け取るのか?それとも受け取らないのか?

 

でも今まで沢山扉を閉めてました。

 

不幸が先だから、それに合わせてるし

そうやって全部先に自分が導いていて、

だったら最初から幸せでいればいいですよね。