幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

ビジネス系の講座に行ってみました。

先日、ちらっと東京へ行ってきました。

2日間だけのあっという間の滞在で、マツダミヒロさんのオンビジネスの講座に初めて参加して来ました。

正直、ビジネスと名の付く講座に参加しようとするなんて

自分でもまさかの印象。

山間の村で住み込み生活の不便さや、自然優先のお仕事で

約束されないお金の不安やらで

更にこの金額…申し込むのは当然時間はかかりましたが、

申し込んだ後もやっちゃった感で気持ち悪くなったりしてました。

 

お値段はもちろん私にとっては大金ですが

今振り返れば、会場に来ていたご自身でお金を稼いでる人達にとっては

お安い金額だったのではないかなとも思うのです。

お金の大きさって、本当にその人のいるステージによって違うなと。でもその恐怖の甲斐あってなのか、

払った金額以上の経験が出来たのではないかと思っています。

毎度勇気出してます。

 

わーきんぐぷあがビジネス講座なんて、まずそこにお金を出すのが最初の関門で

でもビジネスの事はお金の事なので

そのお金によって自分が世界をどう見てるのか、 というのを見せてもらうきっかけでした。

なぜお金を稼げないのか?

そうゆう働き方を選んでるのか?

お金がある人をどう見ていて、ない自分自身はどう見ているのか?

お金は何だと思ってるのか? そんな事を意識するようになって

だからビジネスに惹かれたのかもしれません。

スキル無しでもキッカケ作りができる可能性だったかもしれません。

 

参加して、お金を稼いでみたい、でも…

という言い訳が払拭された訳では無いけれど

雇われて自分の時間を売ってきてる働き方を選んでると

お金の事を意識しづらいし、そこは無頓着にはなりやすくて

でも企業に所属する事で得られる安定とそこは引き換えなのだと思います。

感謝を感じるより、奪われてるように見えるのも

価値が一体何なのかよく分からないまま、自分と混同していたし

システムの中にいても、感謝に気付けて価値を分かってる人は沢山いますが

私には、そうゆう事が点で分からなかったです。

 

そして自分が持ってるお金のイメージは親の影響を受けていて

見栄にお金を使う父に「うちはお金が無いから」と 口癖のように言う母は、

父の行動にいつも心配や不安で嘆いてました。

そんな不仲を見たら、お金が良いものだとはなかなか思えなかったです。

 

よくお金で人や自分を図っていたのだなと思います。それは今もまだそうゆう影を引きずっている所はありますが

今は自分の価値が以前と変わったので

お金で買えないものがあると言えるようになりました。

 

どこかでお金さえあれば、と思っている安易な思考回路に任せてしまうと

見えないものが沢山あるのだなと思っています。

 

 

今回のミヒロさんのオンビジネスの講座を受ける前に私は、

岡田みな子さんの夢ノートの講座を受けていました。

そして、そこで初めて自分への問いかけを知ることになります。

夢ノートを簡単に説明すると

自分の夢を雑誌などの写真を使ってノートにコラージュするのですが

それをする前に幾つかの質問をしてから製作する流れがあります。

講座に参加後、自分自身でも講座を開く側の体験をさせてもらいましたが

なぜ質問が大切なのかイマイチでした。

でも雛形をもらってるので、開催することは出来ました。

 

そして開催する側に立つと、そのプレッシャーに

色んな不安や自信のなさが提示金額にまんま反映されます。

 

イマイチ具合がなんとなく残っていた事がずっとどこかに引っかかっていたのかもしれません。

 

今回の講座に参加することで、

なぜ自分へ問いを投げ続けることが必要なのか?

それは今の自分の姿がはっきり見えてきて、

自分が知ってる当たり前の風景それ自体が枷になってる事に

自分で気が付けるからでした。

 

ちなみに私の場合で言う枷というのは、

コミュニケーションにおいて常に傷つくかもしれないという前提で人と対面してる事

でした。

ここでいう風景と言うのは

私が人と話すと怯える結末になる、そうゆうイメージを常に頭の中で想定しているということです。

これに気付いたのは講座内ではなく懇親会の席でした。

 

多分私は必死だったんだと思います。

だから、できるだけこの機会に出会った人達に触れようと

意識的になっていたと思います。

人見知りなので、本当は懇親会も苦手なんですが

そこでは話しを聞こうとしました。他の方の貴重な今までの経験を。

 

そしたら怖さの影を感じながらも、漠然と面白いって思った瞬間がありました。

このお互いの違いがもう価値そのもので

自分には出来ない相手の体験は全て素晴らしいんだなってことです。

 

それと同時にやってきたのは怖がってるイメージの自分です。

いつもの見慣れた自分の姿です。

イメージしてた結果と現実が違う事で

自分のいつもの当たり前は、実は普通じゃなくて不自然だったし

窮屈だった、というのに気付けました。

 

 

 

 

お金はいつも近くにいて、機会を与えてくれる素晴らしい道具でした。

今回の事で言えば、お金は気づきの神様でしょうか。


人の中だけで機能する唯一の紙と金属に

価値があると決めたのは私たち。

価値を与えてるのは私たち。

 

お金そのものに最初から決まったひとつの価値や力があると思って来ました。

だから沢山持っているその人に力や価値があると思っていましたが

お金はやってきた時に受け取った人が持ってる価値に

入れ替わるものかもしれません。

私の元にやって来たお金は、私の価値もしくは感謝や偏見や不安を乗せて

別の誰かの元へ。

お金を沢山循環させている人が持ってる価値や感謝や喜びは

私のそれとはまた違うのでしょうね。


お金はそうやって知らせてくれているのかもしれません。


今回色んな立場の人達とお話する機会がありました。

それぞれ色んな経験をして

あの時、同じ場所と時間を共有していたんです。

 

自分のしてきたことや思っていることは恥ずかしく幼いと思ってきました。

だから稼げないと言いたくなる自分がいつもいました。

 

お金を持っている人も、そして持ってない人もどちらも貴重でした。

 

本当はワーキングプアとかそんな事言って自分で可哀想にしなくていいんです。

 

書けそうならこの続きまた書きます。