読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

my幸せ尺度

私が辛かった時にやっぱりそこを抜けたくて、

セラピストさんに導引と呼ばれる気の体操を習っていた時期があった。

出会いは、スーパーマーケットのバイト先でだったから

こんな所にセラピストがいるなんてと、ちょっとびっくりしたのを覚えてる。

相変わらず、その導引も続けられず

結局今はどんな風にやっていたかも忘れかけて、なんだか色んなものを棒に振ってきてるなと思うひとつだったりする。

 

その人から教えてもらったことや、言い当てられたことを当時の私は点で受け止められていなかったと今思うほどに

本当にその通りな事ばかりを伝えられていた。

伝えられた事を頭では分かってると言いながらも、心では認めてなかったのだと思う。

自分では良く分からないと仕切りに言っていた。

何かを覆い隠すように、出てこないように「咄嗟に」といった感じで使っていたのは

今だから言える事だった。

言い当てられる事が図星過ぎたし、依存させなかったから

その人に怖さもよく見ていた。スピリチャルに疑いもしながら

きっかけをくれた人のひとりだった。

 

いつだったか、その人が小沢健二が好きな事を話してくれたのか

それともブログで書いてたのか忘れてしまったのだけど

どこか引っかかってた。

 

引っかかると書いたけど、

私はこのアーティストを好きだともなんとも思ってなかった。

むしろその良さが分からないとあえて言いたくなる感じだけがずっとしていた。

 

「全然良くないじゃん」って。

 

でもある時期が来ると、なぜかそれを確かめるようにyoutubeで検索していた。

これまでに何度かそうゆうタイミングで聴いてきてる。

本当はその良さを心から良いって言ってみたかった。

この人が作るものの良さが分かる人になりたいって漠然と思ってる所があった。

 

それでまたふと、オザケンを聴いてみたくなって

夜な夜なオザケンplaylistを作っていたのだけど。

この人のヘニャヘニャしてる動きとか、風に飛ばされそうな頼りない声とか

無駄に明るい曲とか

なんでもっとしっかりしないんだろうってずっと思ってた。

 

あまりに自然過ぎて、飾らな過ぎて

 

そして幸せ過ぎた。

 

 

この人の歌、幸せ過ぎるから、愛に溢れてて

多分同じようなそれを持ってないと、満たされてないと

響かないんだと思った。

 

youtu.be

 

 

愛おしいという気持ちが自分の中にあるから

きっと他の誰かも愛おしい。

だから恥ずかしさで誤魔化さないで、もっと素直になればいい。

みんな必ず持ってるものだから。

 

 

 

自分の持ってるものが映し出される世界だよと、言う声をよく聞く。

信じられなかったけど、それは本当のことなんだと思った。

 

誰かに愛される為に先回りして来た。

みんなの欲しがるものの方を必死に探して、自分はどうしたらいいかよく分からなかった。

愛するって言葉が信じられなかった。

本当はこう思ってるだろうって、想像ばかりして

いつも相手の裏を見ようとした。

そうやって考えなくていいことを、終始考えてた。

 

 

 

一昨日まで持ち続けてた窮屈な状況からの開放感さえ、相手のせいではなくて

もしかしたら自分で作り出してるのかもしれない。

どうしても焦ってしまう、求めてしまう、気にしてしまう、取り繕ってしまう

自分ではなく、心が勝手にそうなってしまう

どうしても、どうしても、と。

 

どこかで、これは弱い心のせいだと思ってた。それを持ってる私のせいだと思ってた。

 

でもそんな窮屈な抑圧を与えるから、「不自由です」と心を縛るから

羽が生えたような開放感が得られるんだね。

何も無かったら退屈で、だからそうやって何かを作り続けてる。

あれもこれも全部、自分でやって来たこと。

 

何もない世界じゃ、つまらなくて。

 

youtu.be

 

 

あぁ、やっと追い付いた。もう何の文句も言わなくていい。

これでよかったんだと。

 

youtu.be