幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

不安も出てきたところでお金の話。

前の日記の続きです。

今日もお仕事はお休み。もしかしたら明日も…。

 

ひょえー、お休みばかりで収入増えないじゃん!なんて不安がちらほら。

 

農業は自然相手です。

収穫できる大きさにならなければ出荷もできず、大き過ぎたら売り物にならず

天候によって全滅なんて年もあったりします。

ちなみに昨日はトラクターに乗せてもらいました!

 

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まとまった収入を期待してやってきた私。

でも今までとは違うと、日に日に実感。

忙しければ、休みは無く

無ければないで、また文句を吐きそうなところだけど。

 

出社してタイムカードを押し、約束の時間を迎えれば仕事は終了。

とらぬ狸のなんとか…じゃないけれど、

月の収入はこれくらいっていうのを、今までなんとなく把握してきました。

そしてその金額は、まんま自分はこの程度という金額とイコールだと思います。

私はずっとワーキングプアといえる収入ラインです。

でも、もらう事を許してないのは自分かもしれないと思うようになりました。

  

 

お金が欲しくて妙なことをして

■お金がない時ほど神社ミッションをする理由|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

■神社ミッションしたらアカン人もいる|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

 

以前心屋さんのブログを毎日のように読んでた時です。

 

上には「お金が欲しくて」と書いてますが

神社ミッションを始めた時は、その見返りを期待して

お金入れるから下さいって

見えないものにすがっている本心に気づいたのなんてつい最近です。

神社という何か崇高なものにお参りして、自分いい事してるぞ。の裏側

卑しい自分は隠してました。

 

あの時くらいから、貯金はしなくなりました。お金をちょこちょこ使うのではなく

ドキドキしながらも一気に使うことをしていきました。

1度に使う金額はどんどん増えていきました。

貯めて、手元に残すのではなく

使うことは今も続けています。

 

結果的に自分の価値がお金よりも低い意識だったことを知り

貧乏でいる自分に都合のよさがあり

目立ちたくない、絶対に問題は起こしたくない、嫌味は言われたくない等…

そうゆう思いの方が先行でした。

お金を持たない理由は何はともあれ、

嫌われたくないからだと思ってきています。

 

何はともあれです。問答無用でです。

 

嫌われたくないと死守していました。そこは頑なでした。

嫌われる事もしょうがないよね、とは言えないのです。

「私」においてどの事に関してもです。

それくらい嫌われたくない事は

メインの欲求だったのに、それを意識してないんですよね…。

自分を知らなすぎて呆れます。 

 

 

s.ameblo.jp

 

昨日、FBでこの記事を読んでいて

先日、諏訪神社でお参りしてきた事を思い出して

神社ミッションの事も改めて思い返して

 

渋りながら出すお賽銭時の自分の行動や

神社へお参りすること自体や

あの時何をメインになに考えてたんだろうとか、思ってたんだろうとか

色々思ったり、考えたり…

 

そしたら、お参りする事(行為)において

頭と心と体がバラバラなのだなと思いました。

 

 

お参りするのは、見えないものへの感謝を表した行為と思ってる。

でもそこでしてる事は、感謝ではなくちょうだいってお願い。

でも神社では感謝する場所と教えられてるし、お願い事をする場所だし

欲と感謝で頭は混乱。

 

お賽銭は

お願いを叶える為の不確定な未来の為の支払いなのか?

感謝してますと今贈呈したお金なのか?

 

…。

 

ちょっと掘り下げすぎました。

 

私の場合自分が決めてないだけです。

だからこうして書き出すとどんどん頭でっかちになっていきます。

 

 

 

 

先日、諏訪大社の下社春宮と秋宮にお参りに行きました。

素直にお願いすれば、感謝も素直に出てきます。

でも私はこだわったり、神社ミッションの経緯があったり

お参りはこんな気持ちでなければいけないとルールがあったりで

心があまり見えてませんでした。

その心がなかなか見えないのは、自分が見たくないものだったからです。

 

先にも書きましたが、卑しい自分です。

実は怒ってる自分もいました。

 

そういえば、お賽銭がずっと投げやりでした。

出せる金額をちょっと勇気がいる額にしてからずっと。

こんなものに、こんな額出す自分て一体…って思ってました。

本性が出てきます。本当は出したくないんです。

 

そして怒ってます。こんなものにお金出してないで

自分にお金かけてよって。もっと自分を豊かにしてよって

なんで自分をそんなに粗末にするんだ、諦めてるんだ、

そして投げやりなんだって。

結局自分が自分にしてる事の縮図が

お参りそのものでした。

だって祀られてるの鏡だったし。

 

なんでも素直になれば、スムーズなんです。

でも誰かに嫌われたくないとか、こうしなければいけないとか

これは正しいからとか

自分のこと色んな理由から、ちゃんと見てないだけなんだと思います。

 

 

多分ですが

お金にアプローチすると、

自分の色々があぶり出されてきてしまいます。

お金ほど簡単にドキドキさせるものもないから。

揺さぶりの大きさが無意識でやっている事に気付かせてくれます。

そうゆう揺さぶられるものに出会う時、どう対応していくか?

それは人に関する事も同じだと思います。

 

 

出てくる不安という感情はお金のせいにして悪者扱い。

だからお金は私に不安を与える悪いもの。

でもずっとお金を欲しがって

もらった時はいつも嬉しかったし、安心したし

お金を使えば欲しいものがやってきて、素敵な時間も過ごせました。

紛れもなくそれはお金のお陰です。

 

その心が不安なのは、怖いのはお金にせいでも

上手くいかない人間関係のせいでもなく

 

ただここにある心が震えてるだけ。

 

震えるのは、感動する時も震えてます。

同じようにいつも震えてます。

きっと遠くから見れば震えに違いなんてそんなにないはず。

 

見えるものが見えないものを教えてくれます。

 

震えていればいいんだ思います。

私たちがするのは、それを大切にする事の方だと思います。

 

 

私の好きな言葉に

「無頓着、しかし無関心ではなく」というMan Rayの言葉があります。

 

自分だと思ってるものに

そんな姿勢や距離感を置ければ、良好なのだと思うんです。

 

心も体も頭も

私のものではないから。

 

自分自身とそうゆう付き合いをしていく中で、

ちゃんと決めて、見極めて

私と言われるこの生を活かす事ができますように。

 

「生活する」


決断するって勇気がいることかもしれないけれど

きっとそれは特別な事じゃないかもしれないよね。