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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

ここにいる間に決めなければならない事

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今日は花火を観に連れて来てもらいました。

と言っても、いつも夕食を頂いてるレストランからです。

 

火の粉に降られず、よく見える場所なのだそうです。

どんだけ近いんでしょうか。

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月と山の稜線がバックだなんて

風情があり過ぎて、なんと贅沢な。

田舎の花火だけどと何回聞いても

いやいやいや…都会の花火でこれ出せないですから。

音も凄かったです。

 

 

 

 

 

「今ここ」「ただいま」

こうゆう言葉の意味がもうイマイチ分からず

感情を味わうってどうゆうこと?

ずっとそう思いながら

充分味わって来ているよ、と

実は声を大して言いたかったりする程

それらに取り組んできたつもりなのかもしれません。

 

 

でもきっと、いつも巻き込まれてしまって

主導権が自分にはないのです。

 

恐ろしいと思う事、不安、周りの目、自分はとても小さく弱い…

 

そんな雰囲気に全身浸かっている状態が私をいつしか好転させてくれると

いつもどこかで期待していました。

 

感情に浸れば抜けるという言葉を頼りに

そこに留まることに必死で

方法を信じて未来に期待するというのも

真面目さのなせる技かもしれません。

 

誰かの方法さえ当てはめていれば、救われると。

 

自分のことは他人任せ、自分の価値も他人次第、自分への愛も未来と誰かが満たしてくれる。

 

自分を好きになる努力が始まって

体事も、そして心事も

でもそれは、自分が良しとする片側だけに対するアプローチ。つまりは世間でもポジティブと言われてる方です。

以前は自分の笑顔さえ認められない程、自分事丸ごと否定していたからです。

 

色々やって拘りだらけ。

布ナプキンに変えてみたり、シャンプーを止めてみたり、食べ物を変えてみたり…

自分の感情を感じていく事だったり、例えば鏡の中の自分に肯定的な言葉をかけることだったり…

 

そうやってゆっくり進んできても

未だなお、片側はなおざりのまま。

そこが嫌われない為に死守してきた場所です。

 

そうして出来た居心地の悪さを、仕切りに避け続けてる結果が今です。

 

ひとつの例外もなく、いつだって私ごとなのですが

結果を責めるだけでは、前へは進めないのです。

 

 

自分に対しても相手に対しても

感じてるものを一緖くたにしている時は

感情ではなく頭で処理しようとして

だから頭の中で言葉が止みません。

つまりは責めるという姿勢です。

 

責めて、そこから居なくなって欲しいと願っているのです。

排除したい。

消しゴムで消すように描く前に時間を戻せたら

薬を飲んで治すように、癌を切り取るように

そこが悪としてみなされると、その一部を治す事や無くす事を考えて

共存を許せなくなる意識。

 

でも自分の一部を否定する事は、自分そのものを否定するのと同じです。

生きながら、その一部だけでも死んで欲しいと望んでるようなものです。

アクセルとブレーキを一緒に踏んでるようなものです。

当然、停滞します。

 

 

怒りを持ちながら、頭でこうだから、ああだから、せいだから、すべきだ…

それらの言葉を、相手もしくは自分に使って

 

それしかないと思い込んで、あるはずのものを見ていません。

 

感情はすぐそばにあるはず。

 

それは例えば憎しみかもしれませんが

まるでそうさせないようにしてるのかと思う程

頭の中で処理することが感情を塞き止めると知りました。

 

 

そのままでいる事は勇気がいる事だからです。

 

 

だから自分を怒らせず、憎ませず、嫌味や陰湿や、嫉妬や、傲慢や

そうゆう自分でいる事の方にずっとロックがかかってる。

 

それらが自分に相応しくないと遠ざけてきたのは

ずっと私は良い子でいたいから。

ずっと良い子、良い人でいれば愛されるから。

隙あらば、そうやって誰かからの愛をもらおうとしてる。

 

でもそれは、壊れてしまう可能性がある。そこには相手の自由があるから。

 

 

ずっと、良い人でいたいと思ってきましたが

実は、それを自覚していたかと言われると

そうでもないです。

 

今更です、本当に今更。

あれだけ良い人でいたいと望みながら

今の今まで自覚がないだなんて、

無意識というのはこうゆう事なんだと。

 

だから、良い人にはちゃんとなっていますよね。

そうゆう方法を自分を殺しながら選び取ってきました。

 

 

「良い人になりたい」

「自分の悪い所(自分の片割れ)は無くしたい」

教室や会社で一番目につく場所に当たり前に掲げられた目標のように

最優先の私の願い事も自分のものとは思えなかったのかもしれません。

個人と社会の境界線を曖昧にしてその願いは

しっかりと叶っていたのです。 

 

 

いつも誰かに支えてもらえる事をどこかで夢見ているところがあります。

良い人をやり続けるにはそれが必要だからです。

 

本当に許すのは相手ではなく

私が一番嫌いな私になる事です。

 

 

ちょうど今の自分にリンクしてました↓

 

【自尊心】もしも全てを失っても、あなたには私がいる。|子宮委員長はるオフィシャルブログ「子宮委員長はるの子宮委員会」Powered by Ameba

 

 

 

もうそろそろ頭打ちだと、どこかで知っています。

今までのやり方だとストップがかかっています。

今ここにいながら、これが終わってしまったら

先の事が本当に真っ白で、正直怖いです。

今の場所が今までの最後という感覚がしてなりません。

だから、以前と同じようにやる事を選んでも

果たして上手くいくのかと疑問だったりする感覚だけが漠然とあります。

 

でも今の時点で

これをやれるとかやるというものを、自分に用意出来てません。

私が自分に出せるgoは、スキルでも技術でもなく

インスピレーションだというのは知っているのですが。

 

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フィナーレでついに拡大もしてないのに画面からはみ出ました。

写真にするとなんとも下品な感じがしてしまうのですが、

とにかく近くて首が疲れました。

 

 

 

どこの人の中にも抵抗なく、いつもの自分を見せられる。

今私は自分とは違う家族の中にいて

でも、もう一つ自分に家族ができた気がすると思えるようになれたのも

自分の家族と仲良くできるようになったから。

 

今の私でなければ、この環境は近過ぎて、雇い主とのベクトルも違いすぎて

受け取れなかったかもしれないと思います。