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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

両親に触れることに抵抗があるか

和を重んじる文化が、個人を殺す文化になってしまわない為に

最近、自分を大切にと言われる声はよく聞かれるようになった。

 

遠慮や謙遜も、自分を大切にしてる前提で使われるものだったんだろうけど

いつの間にか、そうしていれば「ちゃんとしてる」と装えるような

単なる道具として使ってきてる自分がいるのは

自分で自分を大切に扱えないからだと思う。

 

本当の思いが分からないのは、そうゆう装いを何枚も重ねるから

触れても皮膚感覚では分からないみたいなことと似てる。

 

朦朧としながら(苦しんでるから)本屋で

地に足ついてないカテゴリーの所でうらうら~

 


 

こんなふうに、重ね着の文化

 


 

 

購入しようと試みるも、勇気は出ず…

浮世離れな私のやりそうな事だけど、(今苦しいのはこれで察して下さい)

でも読んでてやっぱり嘘っぽいそれをどこまで本気で信じられるかが

いつも鍵になる気がした。そして本気が全てを動かすよんだよね。

ポジティブが欲しければ、ネガティブも食えよっていうのを実感してしまうのは

どん底の状態があるから、そこを突破したいって苦しむほどに

欲求は増すばかりで、本気になる。

そうゆうガソリンだってことなんだろうけど。

 

で、この本の立ち読みのおかげかどうかは分からないけど

痩せたいと思ってたら2キロも減っててビックリした。

どんだけ私は苦しんでいるのでしょうか…

苦しい程に陥りやすくもなるけれど

そのくらい馬鹿になれるエネルギーなんだな。

 

受け取ることが下手というのは、自分の変わらない現実やお金と繋がるだろうし

それは結局、最初に両親から与えてもらっていたもの

つまり愛情を受け取れないという所から始まるのかなと思う。

 

私は父に関して言えば、分かりやすいくらいダメだったから

父と2人になるのも居心地悪かった。

でもそれは自覚があって意識できることだったから

父の病気がきっかけで、私の中で父との距離は大きく縮まったし

触れることもその時からできるようになった。

小さい時はよく肩車してもらっていたのに

いつの間にか鬼化していってたけど

やっと優しい過去を思い出せてホッとする。

 

でも母の方は全然気付けなかった。言いたいことは全て言ってきてたし

後ろめたさもなかった。普通の関係だと思ってきた。

甘えてきたと思っていた。

でも母が冗談じゃなく、本気で大切だよ~みたいに愛情表現する事に

なんとなく嫌悪感があった。ちょっとした嫌悪感が生活する中でちょいちょいあった。

例えば、母のするクシャミとか本気で嫌がってた。

いや、それ生理現象だし(笑)みたいになれない嫌悪感。

でもそうゆう嫌悪感が当たり前って思ってた。

 

ほんの些細なきっかけだったけど、先日母がこちらへ遊びに来た際に

色々ご馳走してもらった。普通なら私がご馳走してあげる立場なのだが

もう手元にないので、どうあがいてもしょうがないと諦めてた。

おそばを食べてお会計をする時はやっぱり申し訳ない気持ちになった。

で、この時はまだ気付かず。

 

その後、コンビニに寄って

自分が買って欲しい200円くらいのデザートお願いしてみた。

こんなお金も出せないのかと思いながら、あえてお願い(甘え)てみた。

恥ずかしいんだよね。

みっともないって確実に周りを気にしながらそう思ってる自分がいる。

でもそこは見ずに、母がしてくれることだけを見るように意識した。

母は私に私が欲しい200円のデザートを、嬉しそうに買って与えてくれました。

 

ここでやっと有難いって、

今までずっとそうしてくれていたんだってやっと気付た。

こんな勘違い娘と一緒に茶番を繰り広げてくれてたんだー

あーありがたーい!

 

値段だけ見れば蕎麦屋でご馳走になった時の金額の方が高いのに

その時は申し訳ないで止めてて

コンビニの200円で一気に今まで積止まっていたものがウワーっと流れた。

感謝がすごかった。

200円のコンビニデザートがなんだったかさっぱり思い出せないけど

体中ナイアガラの滝さながらにグオーってなってました。

 

そうやっていっぱい勘違ってるんだよ。

人の目気にするあまり。

何にお金を出すのかも依存しちゃうんだよ。

あの立ち読みした本が助けれくれるんじゃない。

馬鹿なって思ってることでもやりたければ

そこを本気で思えるかどうかにかかってるんだろうね。

 

つづく。