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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

夢ノートの事

今私は「夢ノート」というのをやっている。

 

苦しんでる人は、その苦しみから逃れたいから

どうにかこうにか色々なものにすがりたくなるもので

とにかくなんでもいいから、苦しみから救って欲しいわけです。

 

普通の日常に

自分がなぜこんなにも苦しんでいるのかは、「正直もう良く分からん」

というのが本音で

今までは、その理由をしきりに自分のせいや環境や、なんやらかんやらで

 

ここ最近、もうそんなのは

自分のせいでも誰のせいでもないなと

言ってしまっていて

だって、そのくらい苦しみだけが抜きん出てた。

 

夢ノートも今の私には結構なお金がかかる講座だし

でもこうゆうものに私はずっとお金をかけて続けてきてる。

とにかく…。もういいか。

 

でもこの状況、以前の時と同じように極まっちゃったんだけど

前と違うのは、今は周りとの繋がりを感じられるようになっていて

だから軽々しく身を潰せなかったし

その事さえも重くのしかかってくるから

あゝなんか厄介、と思うのだけど。

 

今まで自分を救ってくれそうな特別な何かに惹かれて色々やってきた。

体からのアプローチとか、ヒーリングやフラワーエッセンスとか。

そこで出会えた人たちとの縁や教えてもらった事、今も継続してる事も勿論あって

 

ただ夢ノートってあんまり特別感がないのに

結構な金額がかかる。

 

特別でいたい私からすると

夢ノートとかふわふわお嬢様のやりそうな

講座なんて付く現実的なものには

興味を示さないのだ。

 

イメージ先行で地に根が張れてないのに

かっこよくいきたいと密かに思ってる私にとって

ふわふわお嬢様的イメージはダサくて

現実的なものは困るからだったのだけど

 

こんな酷い言いっぷりなものに

気が付けば、なぜか参加していて

 

それで結局、自分に向き合っているつもりで

他の特別なものになんとかして欲しかった

というのを

なんとかしてくれる可能性が低いと思っていた夢ノートで明らかになってしまった。

 

夢ノートは単に自分の欲しいものをノートにコラージュしていくだけなのだ。

 

だったらわざわざ高いお金を払って講座に参加する意味があるんだろうか?

しかも講師の認定なんてもらった所で、私はそれをするつもりもないだろうにと

やりながら没頭しきれない所は否めなかった。

 

でも頭で相当色々考えて、こねくり回す事が

当たり前になっている私にとって

それを教えてくれる人そのままに触れるだけで、影響があった。

いい状態の人の側に居るだけでその恩恵を与かれる。

その人が幸せなそのまんま、つまり在り方を見せつけてくれることで

自分の不幸せの癖が明らかになっていく。

え、それでいいの?とカルチャーショックを受ける感じ。

 

方法を手にしてもやり方が今までと同じなら

結果も変わらないというのは夢ノート例外ではない気がするけど

覚悟は何をするにも必要な事で

高額なお金はそうゆう意味もあった。

それで自分の首絞める事にもなるから、

安いと中途半端で切羽詰まらないから決まらないし、

もう限界!という所までいけなかったと思う。

 

特別な何かになりたいという欲求を隠すけど、本音はそれが欲しいのだから

いつもそうゆうものに惹かれてチマチマしたところでその特別感を満たそうとする。

誰かよりも上でいたい優越感を手放せなかったのは、本音を隠した歪みから。

いつか特別になれるかもと、誰かの特別に寄生する。

じゃあ自分でやればいい話なのに

良い人でいたくて、出る杭は打たれないようにしたいから

頭で考えることばかりする。

矛盾を埋めようとするのは頭の仕事だし、素直になれないと頭を使うしかなくなるんだろうなと思う。

だから言葉は上手くなる。

出る杭にはなりたくないから

ダメな私をアピールに使う。

こうして書いててもややこしい。

 

本来の私を認めないことで全てが歪んでくる。

 

わがままで、かっこつけで、自分本位で、目立ちたがり屋で、注目されたくて、自信家の私が本来の自分で

それは残念だけど変わることがないように思う。

 

そこをやっとやっと降参した感じ。

 

小学校低学年の頃の私をずっと嫌ってたけど

みんなの前で長い髪を自慢気にかきあげちゃうような、おませなあの子に私は帰るんでした。

今でも恥ずかしいって思うけど、もうそれだからしょうがない。

 

 

自分のあれが欲しい、こうしたいというものを

ひたすらノートに貼るだけの作業だけど

 

苦しみが極まることで

誰のかの目から見られて得られる上っ面の望みにヒビが入って

 

もう限界!本当はこうしたい!!

 

の本当の欲求に辿り着く。

 

だから最初の方に作ったノートは、誰かから見られたいと思う理想を貼っていて

それがその時は本当に欲しいと思っていたけど

 

違った。

 

自分の醜さや嫌いが明らかになっては困るから、

見てくれ1番、欲しいと思うものもそれ用だった。

 

自分の欲しいものさえ本当かどうかもわからないなんてと思ったけど

継続する事で見えてくるものがある。

ノートの形式なのはその為なんだろう。

 

そして欲しいものも、どんどん変わっていく。

 

その都度確認していく為に

ちょいちょい自分のノートは更新していこうと思う。

 

自分が恥ずかしいと思ってる事ってどんな事だろう?

 

そんな恥ずかしいさを許せる勇気ありますか?