幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

何を恐れてるのか?

先日、久々に怒りの中に身を置く機会があった。

心のどこかで怒る人に私はなりたくないと思っていて、みっともないと思っていて

そうゆう自分にはなりたくないと思って生きてきた。

 

でも本当の私はすごく怒るし、わがままだし、傲慢だった。

だったとするのは、小さい頃の私がそうだから。

そして残念ながら、そんな激しくて自分本位なのが本質的な私自身なのだ。

 

よく血液型で嫌われるB型みたいな言い方されるけど

専らBだし。B以外ないし。

頷く友人もいるけど、例えば職場だと全ての血液型を言われる時なんかもあって

大概そんな時の私といえば

色々うまく隠していたりする。それも無自覚で。

 

元々どの感情もめいいっぱい表現する質で、静かと言うよりは激情的。

そうゆう自分を知ってる私は

ずっとその部分を認めたくなくて、いい人でいたくて

そして何より

 

嫌われたくなかった。

 

誰よりその激しい自分を嫌ってきたのは私自身だったけど

でもその代償はとても大きくて

そうやって自分を隠すほどに苦しみが付き纏った。

 

怒りの中に沢山の恐れを見るのは

私の中にその恐ろしいもの

つまり怒りがあるからなんだと

今までも言われてきた事だった。

 

私自身がそれを出したら大変な事になると思ってるから恐れてるわけで

でもそれを認めたくなければ、自分では気が付かない。

 

生き辛さの原因が分からないのは、自分でその部分を見付けられないように上手く隠してるからだし

それになりたくはないからだった。

 

抑えてきた分その怒りも相当な気がするのだけど

未だ麻痺してたりする。

 

怒りを全力で否定する代わりに、生き辛さを手に入れた気分がする今

 

そろそろその蓋を開けた方がいいのかもしれないと

始めて感じていて

 

でもそうする事で離れる人もいるだろうし

もしかしたら、顔が変わるんじゃないかと思ってたりする。

 

自分の激しさも、出して見なければ分かるはずもないのだけど。

 

 

先日ふと、

「あゝ、私って物凄くエゴイスティックだったんだ」と諦めがつき始めてからか

否定して一番嫌っている怒りの部分がこうして見え隠れしてきてる。

 

相手を怒らせる事なく上手くやったと思っていた事は、実は骨折りだったのかもしれないと思った。

 

相手に自分の思いを伝えるのに

沢山の言葉を使っていた。

 

相手の琴線に触れない方法を鍛えても

自分が消耗してる事には無関心だった。

 

終わってしまえば全て過去なのに。

 

怒りの中にいて、ひたすら怖がるだけ怖がっていた。

 

輪を乱すために怒ろうとしてる人など

誰もいないと思う。

ただそれがやってくるのだから。

 

 

会う人会う人にやりずらさを感じて生きるより、

もう自分の為に生きていい気がする。

 

自分の赴くままに生きてみたいという欲を満たして

 

嫌われる事を引き受けるリスクを取るか

 

このまま今まで通り生き辛さで苦しみ続けてるリスクを取るか

 

 

今私が怖いと思ってるその事。

  

自分の心と行動を一致させるというのをずっとやってきて、やっと来た

見えなかった、隠したかったその事。

 

 

だって、お店に入って何か頼む時でさえ

嫌われる事を恐れて、自分のこうして欲しいを伝えられないでいるなんてね。

 

でもずっとそうしたかったんだよ。 

ずっとしたい事しかしてない。

実は弱い方が良かったんだよ。


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今日はバスを乗り継いで上田の方に出てました。