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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

ナリくんのブログに書かれてることがやっと分かってきた。

自分は負けたくないんだってことが。

 

下にも書いてるけど、見栄っ張りなんだよ。

かっこよくしたいんだよ。

負けてこなかったから、負けを認めなかったから

出来てきちゃってたから、尚更出来ないことが認められない。

 

葛藤があっても良いの。戦っても良いの。

苦しみは何かと戦ってるから。

自由を求めて、不自由と戦ってるの。

戦いを終わらせるのは認めた時。

自由と不自由の対立なら、

自分が不自由であるという事実。

既に負けてる事実を認めたら

いつでも舞台を降りる事ができるから。

 

 

k-nali.hatenablog.com

 

  

自分の状況を人に話して、それは辛いよねっていう共感をもらった。

そして、じゃあどうすればいいという対処を人は考えようとする。

 

悪いところは排除しましょう、取り除きましょうというように

悪く感じてたり問題だと思ってるその時間から離れても

どこかでまたそれと出会ってしまうという懸念。

この進行の仕方ってもの凄くありきたりだと思ったりする。

西洋医学的な。

 

でも必ずそうなる理由や原因はある。

苦しんでいるのに

その原因を認めたくないのも、見つけたくないのも自分だったりするから厄介で。

いやらしい、汚い、大人げない、優しくない、弱い自分は見つけたくないんだよね。

 

 

 

 

そんな私の決まったパターンで生じる生き辛さ。

ビジュアルにするとちょうどCoccoが主演した映画の一場面がしっくりきたりする。

 

youtu.be

 

壮絶で大げさだけど

滑稽でコメディにも見える。

 

余裕や逃げ道を作れなかったり、真面目で厳しかったりすると

どんどん壮絶で大げさになっていく。

 

出来ないことが許せないし、出来ないことが敵だから

出来ないことを執拗に責める。

みんなは普通にできることが自分だけできないなんて。

 

自分に問題があると思うタイミングは大抵、仕事のこと。

そこで出会う人間関係。

 

仕事に楽しみを感じられないとか、焦りや不安を感じてること、できないと思っていること、やろうとしないこと、やりたくないと思ってること、塞ぎ込んでコミュニケーションを取ろうとしなくなること 

etc...

 

死んだほうがマシだという思いは簡単に出てくるし

行動に移すことも簡単に考えたりする。

 

苦しんでいるのに実は解決を探らない。そうなってしまうことは許してる。

 

でも苦しいから、誰かに求めようとしてみたり

別の何かで紛らわせようとするのだけど

これが冴えない。全然冴えない。

何をしても、どこへ行っても、何かを食べてみても、何もしなくても

どれもこれも息が詰まる。

 

 

ほったらかしの苦しみはけっこうな鋭さで、攻めるのを止めない。

でも何故そうなるのか、分からないって言ってる。

 

巧妙に隠して核心は曖昧にする。

 

だから苦しみはある種のサインなのだけど、そこで踏ん張れないとまた機会を伸ばすことになる。

苦しみに留まるのは楽じゃないから、状況からは逃げたくなるもの。

 

私は自分に厳しいという自覚はあまりないのだけど、人に話をするとストイックだと言われたりする。

自覚はないけどその要素がある。

 

自分に厳しさがあるなんて認めたくないけど

自分を執拗に攻めること自体、

執着とルールと厳しさを持ってることにはならない?

 

 

今まで出会ってきた人のことを思い出してる。

 

 

例えば、あの人は自分の心を見ないようにして、だからあんなにお酒ばっかり飲むとか

休みの時も体を酷使してストイックだとか、

そんなの可哀想って思ってたり

 

ルールや決まりに忠実な人

~すべきを持ってる人

心を麻痺させて、ストイックに刺激を求めてる人

人の目を気にしてることに肯定的な人

 

それらを厳しい人たちって見なしてること。

 

そうやって人を判断してる自分。

できた人間でいたい私は

人のことを判断なんてしてないですよって体でいたいから

自分で気付かない。

 

自分で気付けないのは、良識を気取りたいからだよ。

私ちゃんとした考え持ってます。ちゃんとしてる以上に人より知ってますって。

 

人の気になるところは自分が気にしてること。

自分がそれをしてはいけないと思ってる。

人の目を気にしてちゃんとするだなんて、と反発心の裏は

人の目を気にしてはいけないと思ってるから

私がそれらを許せないだけ。

 

厳しく責めてもいいんだよ。

麻痺しててもいいんだよ。

不自由だって構わない。

人の目を気にしてもよかった。

生きることはそれほど自由。

 

でも自分の中にあるそれらを認めたくないのは何故なのか?

それは痛みを覚えたから。

 

あの時、お前は!お前は!お前は!と

お酒に酔った勢いで罵声を浴びせて私を責めた父のこと。

 

厳しさや、ルールに忠実でいることや、自分の意見を譲らない人…

 

厳しさは父のことで、同時に社会や仕事への考え方や価値観は全部父親から引き継いでる。

なぜなら家族の中で父が仕事へ行き、お金を家に入れる存在だから。

お金の問題はお父さんとの関係だよ、とはそうゆうこと。

この厳しさを許せたら、また一段と楽できるよ。

 

父親の価値観を受け継いでいて、そこを一生懸命守ろうとして

同時にそこに反発してる。

守りたいのは愛されるために、

反発するのは傷ついたから。

 

全部自分が自分に課してること。

 

私はまた自分を苦しめるかもしれない。

傷つけるかもしれない。

不器用に生きる人たちがいること。

厄介な生き方で生きていること。

人に厳しかったり、自分に厳しかったり

 

 

でも相手にはそれを許すこと。自分にはそれを認めること。

生きることを選ぶならね。

 

ちゃんとなんて生きなくていいから。

 

戦いが終わらないことを許せたら

戦いが終わるというパラドクス。