幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

昨日のこと

ここの所、すごく落ちてる。ひとつ前の日記に書いた闇のこと。

またその闇が久々に来て、

あぁ、この世は生きづらいとすごく思えて、死んでしまいたいと簡単に思ってしまう自分がいる。

 

今聴きたくなる音楽が「神聖かまってちゃん」だったりするあたり

そのバンド名まんま今の自分のように思えて笑える。

 

普通に恋愛、普通に仕事、普通の感情…何かそうゆう安定のようなものにほど遠くて、

死んでしまいたいとか、壊れてしまえばいいと刹那的に出てくる自分と

この世で幸せになりたい自分と出会うたび

ずっと人間になりたいと願ってる妖怪人間を思い出す。

 
自分にある負の部分も大切にすることで、今の自分を丸ごと受け入れるという方法も
その感情に浸り過ぎて、切り替えられなかったりする。
 
そこまでどっぷりなら、強引に行動に移す気分転換も大切なのかもしれないけど。
 
綺麗なものに触れて感動する感覚が生きてるか曖昧だったから
少し裏にある御殿山へ入りに行った。

 

展望台まで20分位で登れるのだけど、以前普通に通れた道を腐った木が倒れて塞いでいた。

木が枯れている。

どうもそうゆう所ばかりに目いくのか、そう見てるだけなのか

生命力がないような感じがする。

 

いつもは展望台までなのだけど、その先にもに道が伸びているのを見つけて先に行ってみることにした。

 

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写真を撮っていた時にいつも感じていたものってなんだったかなと思い出していた。

 

地べたを這うように接写で撮るのもあって、自分が虫みたいに埋れたり、塗れたりしてる時に感じていたのは、

母に抱かれる安心感みたいなものや、魅了されて虜になる感覚だった。

 

撮影が終わった後に付いた衣服や靴の汚れ具合に、なんでこんなになるまでやってるんだと思いながら、繰り返していたことも

 

今はそれがない。

 

写真を撮らなくなった理由はそれだと思う。

 

また青い葉と花をつける季節が来たら

私は出掛けるかもしれないけど

以前と同じ感覚になるかは少し疑問だった。

 

なんとなくだけど、もう自然は癒してくれないと思った。

単に季節がまだ盛りではないからとか、自分の感覚がそこから離れたからとかあるのかもしれないけど

もうそこには私が知ってるあの優しさがなかった。

 

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漠然とだけど、もう誰かに癒される時代は終わった感じがする。

自分でなんとかしないと誰も手を貸してはくれない感じがする。

 

自分のことは自分でやらなきゃいけなくなった。

もう誰も包んでくれない。母はもうそっぽを向いてしまった。

母や誰かという表現にはしてるものの

私は自然からそれを学んでる気がする。

 

委ねることと丸投げすることは全然違うけど

私は色んなことを丸投げしてきたんだなと思えてトボトボ帰ってきた。

 

もう母は癒してはくれないんだな。

自分で癒してあげないと誰かや何かだけに頼っても

自分が自分に関わらないと他のものだけじゃもうパワーが足りない。

 

そうでないとまたあの闇に飲まれてしまいそうだ。