幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

矛盾

当然のように幸せを願っているのに

現実はあまり変わらない。

 

幸せを受け取りたくない

愛情を受け取りたくない

 

そうゆう自分、どこかにいないだろうか。

 

幸せになったら困ることがあるのかもしれない。

そしてそれは周りからどう見られるかと繋がってる。

 

自分が豊かになったり、幸せになったり、私らしくいたら

 

そして強くなったら

 

私は、愛されなくなると思ってるんじゃないか。

 

それは本来の自分こそ強さがあって、豊かで、幸せで

そして私の知ってる私を出していったら、

私は嫌われると思っているからじゃないだろうか。

 

そうゆう思い込みができるのは、傷付いてきた過去があったからで。

 

 

幸せになる方法は今の世の中

結構たくさん発信されてるように思う。

どこかで自分を生きてないと感じる私は

それらの情報を頼りに色々やってみていて

 

例えば自分を好きになってみるとか、お金を貯めずに使ってみるとか、心で感じた事と行動を一致させる為に告白してみるとか…。

 

だけど、明らかに行動だけが浮いてる。

 

告白とか、もうお金ないとか

気持ちの振り幅もなかなかのレベルなことを考えずにやってみてる為か

ここにきて方法に丸投げしてるやん!

 

と、遅すぎる気付きなのだけど

 

本当の所は、方法に頼っていれば楽だからだった。

 

最近見ている右京さんの公式ラインでこんなことをシェアしてくれていた。

 

 

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 「自分自身にお金をかけることが

自分を大切にしていることじゃなくて」

 

自分を大切にすることや、自分らしくいるにはどうしたらいいか

自分でわからないから、とりあえず行動だけでも変えていこうとした。

行動さえできれば、変わっていけることを願いながら。


でも、そうすることで私は私を大切にしてるつもりにしていたのかもしれない。


自分を大切に扱えないことを知っているから

大切にしてる証明のように

行動を使っているような気がした。


確かに、行動すれば強烈に気付かされる。

行動しなければ、以前のまま。


でも、奥の方では決めてない。


自分を無下に扱うことで、苦しみを生んでると気付いたから

豊かさと愛情や感謝を感じる為にやり始めた沢山のことがある。


でも、誰かや何かが救ってくれるわけじゃない。

方法も行動も救ってくれない。


何も起こさなくても、ただ自分が決めればいい。自分だけが許せばいい。自分で癒してあげればいい。


もしあの時の苦しみを知ってるなら

それを癒せるのは、その苦しみを感じたその人以外誰もいない。


苦しみを知ってしまったんじゃなくて、

苦しみを知っているから

それに手を差し伸べることができるんだよ。