幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

偏った食べ方でも

職場の歓送迎会で日本料理のお店に連れて行ってもらう機会があった。

並べられる丁寧な料理と味、それと良い素材だけでこんなに美味しいと感じられたのも久しぶりで

 

お刺身って、こんなに美味しいんだ
白いご飯だけでこんなに美味しいんだ

 

そんなの初めてだって言いたくなるくらい、胸の内で密かに感動していた。

ここの所、自分で何か作るのがどんどん億劫になってる。
それは以前からだけど

私はいつも同じ物ばかり食べたり飲んだりしてる。

今までそうすることに何の疑問も抱かなかったのだけど

 

…。

 

多分それは美味しいと感じることよりも、

空腹や満腹でいることの方を重要にしてるからで
なぜ重要かといえば
それで太るとか痩せるとかを測ってるからかもしれないと思ったからだった。

 

空腹でいるときは◯で

満腹の時は✖️で

 

満腹になれば、食べてしまったことを嘆いて、
でも空腹の時は早く食べたいと思っている。

心で思ってることがどこにあるのか分からず、

やってる事と考えてる事がちぐはぐだった。

空腹を良しとするなら、それを続けて拒食にもなってしまいそうなのに
私はずっと過食だけを続けている。

 

「愛に裏切られたとき、
人は拒食になり

愛に飢えたとき、
人は過食になる」

 

こうゆう事を教えてくれる人が今はネットの中にたくさんいる。

私は自分を良しとする事が今でもなかなかできない。

いつもどこかでダメを出し続けている。私はずっと自分を認める事は出来ないかもしれないとさえ

今でも思ってしまう。

食やモノに走るのは、枯渇を埋める為というのを頭では知りながら
そんな枯渇の素が何なのか分かってない。

 

そろそろお金も底を尽きそうなのに、

他人事のように買い物をしてる。

お金に関してはなくなる不安にそこまで費やさなくなったけど
自分で自分を追い詰めるように過ごす毎日のようにも思える。


お金を稼げないのも、食べ物のことも
自分を大切にできない現れかもしれないと
どこかで思ってる。

 

そして、お金がない自分に惨めさを通り越して
お似合いで当然だと思ってる。
そうゆうセルフイメージに留めてる感じがする。

食べ物の事は自分の美味しいという体感より、

太るか太らないかの方を重要にしてる。

自分の体で感じることさえ抑圧をしてる。

 

ここまでくると、我ながら何の仕打ちだろうと思ったりする。


自分を許したら、何が起こると思ってるんだろう。

 


ただそんな自分に何もしないのではなくて、少しずつ美味しいという素直な感覚だけを見るようにしようと思ってる。

 

心と体と頭のチグハグを少しずつ引き寄せて
私をひとつにしたかった。

だから食事の席で美味しい物に触れた時には、

その美味しいという感覚だけを見るようにした。


この前は好きなパン屋さんのパンをたくさん買って
暖かく晴れた空の下で食べて、食事が美味しくて楽しい物なんだって感じようとした。

食べ物に対してあれが悪い、これが入ってるから危険、

というのは一旦脇に置いて
とりあえず食事を楽しむことだけを考えた。

 

これがいいかどうかは、正直わからないけど
ただ今の自分を変えようとせず、

このままの自分にたくさんの丸を付けられるようにはしたいと思ってる。