幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

haruradio.hatenablog.com

 

これは去年書いたものだけど

今朝、このタブーを友人に伝えた。

隠していた過去はもう隠さなくても良い過去になっているけれど

だからと言って誰にでも話す必要はなかった。

 

秘密が秘密ではなくなった。悪い過去でもなくなった。

そして私だけが持ち続けた過去は、私以外に知らされることで、知らされた人たちの中だけに生きるそれぞれの過去に変わったのだった。

一つとして同じカタチのない過去。

過去なんてそうゆう曖昧なものだった。経験した当事者であってもそのカタチはどんどん崩れるか、都合よく作りかえられてしまう。

重要でなければ簡単に手放して、重要ならいつも手元に置いていた。

 

そして改めて事実を知った母はその事に胸を痛めたようだった。

今更母親が苦しんだところで、そのタイムラグと今の自分との温度差があり過ぎて(心を痛めてるところ申し訳ないのだけど)まさに茶番でしかなかったし、コメディにさえ見えるくらいで。


ただあの頃、本当は母に対する怒りもあったのだと思う。こんなに近くにいるのにあなたはなぜ私に気付かないっていう心の声。

でもそれを出せなかった。

幼さとあの環境が全てを抑圧に向かわせたのだと思う。

 

必死で隠したい過去だから、その過去が原因という所までたどり着くのには時間がかかる。

まるでかくれんぼみたいで

なぜ自分が自分をそこまで追い詰めるのか

隠したいものであるほど自分のやってることが見えなかった。

今思い返せば答えを言ってもらっても、分からないと言っていた程だった。

それほど抑圧を強くして、出てくるものを抑えていた。

あの過去に傷付いたことも、自分がやったことも、感じていたことをいけないと幼いながらにハッとしていたのだから。

 

大半を苦しみという時間に費やした。自分への罰は生きようとする意思が終息に向かわせた。

自分の見たくない過去へのヒントは確か

yahooの知恵袋で同じような経験を相談する人の投稿を読んでからだったと思う。

 

だから精神的に苦しむということにおいて

どうやら仕組みがあるらしい、というのがなんとなくわかった。

でもどれもこれも、自分の意思でそうしている。そうすることが都合がいいから、そうするのだ。

どんなに苦しんでいたとしても。

 

そして許さずにキツく縛り上げていたヒミツを解放する時に流す涙は全身を癒す。そのくらい本当に全身の脱力感がすごかった。

どれだけ力を入れて生きているんだと思った。

 

 

そしてもう一つ

自分に向けていた軽蔑は許せてもまだ他にもそれがあったこと。

今まで見えなかった両親への偏見と軽蔑。

 

それを自覚したのは、自分の幸せの為に私も信じようと思ってからだった。

両親と同じことになるのが嫌だから、ずっと何かにつけて疑う側でいた。

 

妄信する人にはなりたくなかったのだ。

 

そうやって私は常に周りからの目の方を気にかけることを止められないでいる。

 

でも人の目が怖いのは、自分が他人を見る目の中に鋭い偏見と軽蔑を向けてるからだった。

嫌われることに怯えるのは

世界からもそうやって見られてるに違いないという想像しかできないから。

周りからそうされるのが先じゃなくて、自分が既にしてる。

 

自分の中に偏見と軽蔑があると認めてしまうことは

誰からも守ってもらえないことを覚悟するのに似てる。

もう補助輪付いてないからね、みたいな感じがする。

 

それってとても怖いことだった。

今まで自分の命を守ったり、大切にするよりも

その命が邪魔だと言わんばかりに傷付けてきてたような人間にとって、自分で自分で守る自信なんてないのだから。

ものすごく地味に分かりやすく、自分を大切にする方法から始めなきゃいけないのだから。

 

偏見と軽蔑を自分の中に認めた時、相手のそれも許せるようになる。

偏見と軽蔑を向けられても恐れなくなるのだ。

それ持つことはいけなくはないって、自分が自分にする制限を解いたら

相手の不機嫌も怒りも、自分を脅かさなくなる。

 

自分の中と世界と外側の世界はそうゆう関係だった。

だから自分が不幸せなら、不幸せな世界が

自分が幸せなら、幸せな世界が広がっている。