幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

やりたい事をちゃんと分かってる?

やりたい事をやってきてるつもり。

踊りたくて踊って
服を作りたくて作って
写真を撮りたくて撮って
絵を描きたくて描いて
アクセサリーを作りたくて作って…
 
だから私の趣味といえば、たくさんあるし
どれも未完成で、これからもやりたい事は増え続けるかもしれない。
 
それで、続かないことを悪いと決めて自分責めして、それは傍目から見た自分を気にして一応に責めてただけだけど。
 
責めるのやめてもサッパリしないのは
やりたい事に気持ちが乗ってないからじゃないかって思った。
だから気持ちが乗せられるなら、やる事はなんでもよかった。
それが料理でも洗濯でも、家事と言われるような日常の事でも。
 
 
一般的にこうで、社会的にこうで
そうできない自分が悪いって言ってるうちは、自分の本当の気持ちは分からない。
霧がかって、道さえ、足元さえ見えないような状態で。
 
この写真でいえば、あの木の先には本当は鉄塔があるはずなんだけど、全く見えなくてそれが良かったりするんだけど。

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本当の景色を知ってるのと知らないのとではやりやすさが全然違うって事を

以前撮った写真を見ながら、ふと思った。

 

 

本当の自分の気持ちはみんなが知ってるはずって言いたくなるのは

小さい頃に無邪気に笑って泣いてドキドキしてるうちに

途中からいきなり周りの大人に怒られて、ビックリして怖くて

ただ遊んでるだけなのに危ないだの、煩いだの、迷惑だの、いけないだの言われて

その無邪気さを封印したからと思うから。

 

ポンと産み落とされて、この世界にルールがあることを教えられていくけど

そればかりが優先になって、いつの間にか忘れてく。

オトナになった自分もコドモに同じことをする。

 

夢中になったあの時があったなら、それを覚えてる。

でも自分も周りに合わせて抑えるうちに

本当の気持ちが分からなくなっちゃった。

 

 

私は自分の知ってる風景を取り戻したいみたいだ。

 

閉じてるその心の鍵をこじ開けて。

 

だから同じように閉じてる人を見ると気になってしまう。

もっと開こうよ、もっと自分の好きなことしようって。

 

でも本当に助けたいのは私のこと。

その人の心を解放してあげたいと思うなら、まだ開いてないのは私の心の方だから。

 

戒めのように心に鍵をかける人もいるんだよ。

私がそうだったように。

 

幸せになってはいけないって思ってる。

 

 

だからよく笑う人やただエネルギッシュな人をニュートラルに見れなかった。

ワクワクしてる人の中にいると、眩しすぎるし

豪快に笑う人を見て、下品だと思ったり無駄に明るいと冷めて見るところがあったのはそのせいかもしれない。

 

ただその人の表現に過ぎなかった。

自分の喜びに制限をかけてない。

笑う時は遠慮せず笑って、怒る時も、悲しむ時もそれは同じで。

 

私はそうゆう表現を自分に許してこなかったから。

苦しんだり悲しんだり、暗かったりする部分だけをいっぱい出して

明るく過ごすことや、緩くすることや、喜んだり楽しんだりすることに、制限をかけた。

 

それも厳重に。悪いと思ってる自分への戒めとして。

 

恐れや悲しみだけが手に取りやすい日常だと思ってるみたいだ。

 

でも本当は幸せなんて、特別なことじゃない。

 

私は少しそれに慣れてないから、先に知ってたり表現してる人の真似はしてもいいかもしれない。

 

そしたらたくさんの表現を知ってる人になれるよ。

 

私のやりたいことって、そうやって私の心を知ってあげることかも。

 

  

それで、続かないことを悪いと決めて自分責めして、それは傍目から見た自分を気にして一応に責めてただけだけどって始めに書いたけどね。

 
別に趣味ならいいんじゃない?仕事だとまずい?
 
好きなことが趣味ならよくて仕事だといつも上手くいかない。
好きなことをすると苦しくなる状況に陥る。
 
つまりは人の前で好きなことなんて何にもやれてないんだよ。
 
っていうのは、人の前で喜べないから。人の前で抑えてるから
自分の心を、特に喜び方面を。
 
ちゃんとする、だらしなくしてはダメ。
 
苦しんだり、上手くいかないことを人に見せようとしてるのはなぜ?
 
その方が可愛がられるから?
 
謙虚さと自己卑下は別だよ。
 
幸せになってはいけないという制限をかけてれば
不幸せな私です、可哀想な私ですってやってれば
人目に触れなくて済む。かんに障らずにすむと思ってる。
 
それって自己表現の放棄じゃない?
私は一体誰を生きてるんだろう?