fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

今日の感想

その日にあったことの感想を書いてくださいと言われると気乗りしない。

でも日記というのはそういうものなんだろうけど。

どこへ行って、何を見て…場所やコトを書いて、具体的にしてしまいたくないのだという前置きを残しつつ。

 

「魔除けー身にまとう祈るこころー」というタイトルに惹かれて文化学園服飾博物館へ行ってきた。

自分が過去にファッションを学んでいた事を思い出していた。

私はなぜそれを選んだのか?単に憧れだけで飛び込んだのだろうか?

結局、劣等感の塊に押し潰されて1年ももたなかった。

 

展覧会の話に戻すと、

服というものの役割を身を護るという視点から見せる展覧会で

会場には日本を含め、世界の民族衣装の他にアクセサリーなどの装飾品も展示されていた。

それらに施された刺繍や柄などの役割がどんなものかを、今回初めて知る事になったのだけど。

 

衣服と身体の境目となる首、手首、足首は

魔物の侵入を防ぐ為に民族衣装では派手な刺繍や装飾が施されていて

 

例えば、タイのアカ族の連続した三角の文様は犬の歯を模して、魔除けの意味があったり、

東ヨーロッパの赤いエプロンは女性の生殖器を悪霊から守り、子孫繁栄を願う意味を持っていたりするそうだ。

 

邪悪なものから身を護る水の青や

見えない背中には赤い目の文様と、その中心に生命力の象徴のトカゲなど。

 

普段つけているアクセサリーも元来はそうゆう意味を持っていて

アクセサリーとしてよく使われるビーズの語源も、アングロサクソン語のBiddan(祈る)、Bede(祈る人)といわれていたりする。

災害から身を守る為であったり、幸福の祈願として身に付けている物だった。

 

それらが一見してデザインとして優れている所しか見てないのは、今の時代に生きているからだけど

作られた由来を知る事で、今の自分が無性に惹かれる理由に少し近付いた気がしてならない。

 

服でさえ簡単に作られ消費されるような現在の流れの中で

実際に簡単にはいかない細かい手作業の繰り返しで生まれる美しさと重厚感は

作り手から着る者への想いの表れのように感じる。

 

心を込める事。

 

今まで自らの力でその心に蓋をして、私が護ろうとしているモノは一体なんだったのか。

 

 

魔とは一体何を指すのか?

 

 

服といえば、それが外側に向けて私という人間をアピールするツールにしか見えなくなっていたりする。

着る物に無頓着ではいられないのであれば、見た目に重きを置いてるからで

ファッションを始め外見の所だけを唯一の原因や方法にしてしまう時、

もしかしたら心の内にある何かを隠そうとしてるからかもしれない。

 

ありのままでというのを最近よく耳にするけれど、

現在のというより自分の美しさへの追求は

ある種の防御ではないかと思ったりした。

 

 醜さに対する防御は、ありのままでは愛されないという恐れから。

 

認められたい、愛されたいという欠乏からの欲求を自分で満たせないで

外側で精一杯どうにかしようとする。

 

ありのままでというのは、自分の隠したいものが何か知る事、見る事、それがあると認める事。

それには護るという行為も警戒も一度解く必要がある気がする。

 

服がある種の結界になっているというのは何に対する結界なのだろう。

襲いかかろうとする悪や魔は本当に外側からやってくるものなのだろうか。

私が自分にしてきたことを思うと、剣を向けているのはいつも自分自身だったりするのだ。

 

 

自分の許せないと思うダサい部分に、自分がなってしまうことで出てくる恥ずかしさも、いたたまれなさも、

ちゃんとあるって認めたら

守ろうとしてるその美意識から一旦離れられる気がした。

 

服だけじゃない。

自分が悪としてるもの。いけないと思っているもの。恐れているもの…そうゆうものに触れてみること。

 

ありのままでというのは赤ん坊や子供のようにとても無防備なのだと思う。

それでも一度無防備に魔や悪と対峙してから、改めて触れる美は

表面的なだけではいられない強力な魔法を伴っていると思う。

 

自分がそのままで美しいと知ることは、自分の醜さも知らなければ得られない感覚で

その上で改めて自分を飾るときに、こんな私がいたのかと溢れるような感覚がやってくる。

愛という言葉が当てはまるのかどうなのか、私にはまだそれを使えないように思うけど

自分を愛することはその醜さも見なければ得られない。

 

個人的に外見だけではないと綺麗事で言えないのは、

醜さを知った上では飾ることが外側から護る要素以上に

自らを楽しませる事や喜びに繋がる特別なものだと改めて知ったから。

 

警戒の意味だけで護る為に着飾るのを止められた時、その人からは見た目だけではなく、溢れる美しさという見えない服を着てるようにも思う。

 

そして衣服だけではなく、ヘアメイクや美容も含めたファッションに携わる人達は

人間の個性や美しさを引き出す手仕事ということになるのだと思う。

 

きっと今の私はどん底だけど、殺したいのではなくて

泥のような私を嫌いながら泳がせているような感じがする。