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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

好きなもの、こと、人…好きってなんだっけ

「人生をいじくり回してはいけない」という水木しげるの本のタイトルが忘れられないのは、

結果として変え続ける生き方でいる自分がその駄目さを1番意識してるからで

そうやって自分の「好き」を使い捨てのようにしてるのが恥ずかしくて、情けなくて、だって出来ないと喚く子供みたいで。

 

自分の過去を振り返って、その過去に厳しくするのを止めてるつもりで

今の自分には上のように感じてたり、

職場でのだらしなさや、どこか適当にしかやれないことや、心を込められないことをいけないと責めることだったり

そんなこと思ってはいけないと訴えるもう一人の自分の声は

ごく自然に当たり前に当然の顔して自分にダメ出ししてくる。

 

FBを見てる時に、過去に出会ってきた人達の今が急に目の前に現れた途端、

私の中の許せないでいるあの子がまだそこに残っている気がした。

劣等感の塊だったあの頃に、バカや羽目を外すってこうゆう事なのかと教えてくれたような時間や人の中で、全力で心を閉ざしてる自分が不自然で、どうして?とやるせなくなるばかりだった。

 

許せないでいるのはあの子ではなくて、閉ざして感じないでいたあの感情。

 

今更私には

いつも、いつも、いつも、

近くに誰かが居てくれたことを思い知らされて、それでも頭の中は自分の事でいっぱいで、でも今更それを責める気もなくて

大切にしてないよなと言ってしまうような淡白さに落ち着くことになるのだけど。

 

そうゆう人に対する距離感も、働くことに対してのだらしなさも、とりあえず1度はそれでいいって言ってみる。

 

***

 

しばらく写真を撮れなくて、撮りに行っても前のめりに追いかけたい欲がどこかへ行ってしまって

あぁ、もうこのまま

また簡単に止めてしまうのかなと他人事のように思ったていたら、そこから自分の好きがなんなのかわからなくなってしまった。

 

何をすれば、何に触れれば、好きだと言えるのかとか

毎度毎度撮ってた写真をやめてしばらくたって、どこか空虚で、どこか埋もれてる感じが積もってきて

埋もれてても、今はなんだか静かで波風もさほど立たない楽さがあって

でもそれを変えるようとするのは、寒い朝に布団から出ようとするあの感覚に似てて

 

漠然とこのままじゃマズいことだけは分かってて、どうにかしなきゃという焦りが勝って、お金がすっからかんになっても

以前から気になってた講座に参加してみることにした。

 

具体的なことを書くと

「魔法の夢ノート」というのを体験しに行った。

一言でいえば、ビジョンボードとかドリームマップ似てるんだけど

今までそれらには惹かれてこなかったし、むしろ嫌いだし、でも今回はなんだか違った。

 

叶えたい夢があるわけじゃなくて

今私が欲しいモノは自分の心を知ることで、そこを優先させることだったのに

結局行動する原動力は漠然とした危機感と、自分の好きが分からなくなってることが引き金だった。

ただ、なんとなく夢ノートを作る機会が今の自分にとって、欲しいものを分かりやすく示すものになりそうだからという予感だけがあった。

 

夢ノートを作る為に事前にノートと雑誌を用意するように言われていた。

もうその時から自分の好きが何かを必死に問い続けていて、ノートを買うのも雑誌を買うのもお財布はもう空っぽで。

図書館に行ったり、ブックオフに行って自分の惹かれるものを探しに行って

必死に自分の好きを確かめるような時間だった。

結局今までの好きが真新しくなるはずもなく、やっぱりそれが好きなんだと再認識するだけだった。

 

だから撮れなくなってる写真も好きに入れた。

あれだけ必死にやってきたのに分からなくなってる今だとしても、わざわざ外さなくていいと思ったし、

川内倫子の淡いあの色を探したし、でも選んだのはカメラピープルの本だったりした。

有名な誰か一人の色じゃなくてみんなが撮ったそれぞれの色がどれもきれいだから。

 

実はこの作業をしただけでも少し何かが動いていて

その翌日、私は久々に撮影に出ている。

 

あの感覚が戻ってきてる。

 

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会場に着いてそれぞれの自己紹介から始まって

ノートを作る前に色んな質問をされた。

例えば、お金や時間の制限がなかったらどうしたいとかを紙に書いていったりした。

 

自分がどんな風に生きていきたいのか、自分の心の声を探し出してく。

私の本当の望みはどこにあって、それはどんなカタチなのか。

誰かにどう見られたいとか、~しなければいけないとか、そうゆう頭に熱を集める方じゃなくて、胸が熱くなる方で手探りする。

 

最後は持参した雑誌などから何でも自分の好きをノートに切り張りする。コラージュ。

 

夢ノートなんてタイトルの講座だけど、多分私は夢がないと思っていて、だから夢を叶えたいわけじゃなくて

今日の私の目的は自分と繋がること。自分を知ること。

 

それなりのお金を出すことは

自分の心構えやそれに対する取り組み方が違ってくる。

 

やってることはシンプルなことで、家でもできるけど

本気度を上げる為のお金と時間、そして人。

お金を使うことも自己価値が低いと、そんな低い自己価値で使うから

無駄になってもいいやって使い方をして、こんな自分なんてに使うお金やモノをお粗末にする。

こんな自分=こんなもの、こんなお金というように。

 

 

本当はこうゆうものにお金を出す度に、行くだけ行ってセミナージプシーみたいになってるだけじゃないかって、いつもどこかで他力で自力のなさを嫌ってる。

 

導引、オーラソーマ、ゆるゆる瞑想、ダイナミック瞑想、フラワーエッセンス、ディクシャ、叡智のバトン、キバリオンカフェ、ヒーリング…

だいぶ色んな人のところでお世話になって

 

食べ物、湯シャン、布ナプ、宗教、性、父、弟、そして母のこと

自分で気になってたやってきた色んなことがある。

 

最初の方は誰かに何とかして欲しくて、あれをすれば、これをすれば私の苦しい状況は抜けられると願いながらやってきて

でもそうやって自分のことなのに自分で救ってあげる意識がてんでなかった。

目に見えない施しも期待しながら疑って、自分の心で感じてる闇や悪を嫌って、

良い人、良いもの、白、光、美しさ、気持ち良さ、優しさ…

そうゆうものだけを残そうとした。

患者の立場で居続けて悪い私を治してもらおうって思ってきたから

凄い人を立てては、いつもあの人よりダメな自分でいようとした。

やり切ってる人、変えていってる人、与える側のその人達の前で私は、自分を小さくした。

あなたよりも劣っていますというアピールとして怯えた子猫を演じて、それで相手を敬ってることにしてしまう。そう見せてるだけ。

でもそれって本当はその人が怖いだけで敬ってない、だから嘘つき。

自分が自分を認めないから、自分よりも凄い人を作り上げて、いつまでも凄い人できる人の所へ行ってダメで弱い自分をやってる。

 

でも、どんな人とも対等であること。

この命とあの命にどんな違いがあるのだろう。ちゃんと引き上げて。

 

何もできなくても、何も与えられなくても、どんな過去があっても、誰かを傷付けたとしても、傷付けられても、野蛮でも、ダサくても、醜くても、卑しくても、ずるくても…

 

ただ息をしてるこの命、認めて。

 

本当の尊敬や感謝は、自分の命を低く沈み込ませたままでは出てこなくて

最後には感謝しか残らないと言える所には、とことん自分に付き合わなきゃいけないけなくて、見過ごしたい 嫌なこと、怖いこと、感じたくないものこそ

ただあると認めていく。

 

自分が苦しいから、どうにかしたいから、お金を使って会いに行く。

そうやって今日も新しく1つの表現に触れて今、こうして感じたことを書いている。

 

すべての機会にどんな私で参加するのか。

 

色んな方法やメソッドがあって、自分が気づくきっかけをくれたのは目に見えないことが先だったんじゃないかって思ってる。

 

いつも受けっとていること、そのインスピレーションは生活の中に馴染んでる。

目に見えないこと、それは心

目に見えること、それは体

 

目には見えない自分の感情を知ること

目には見えない想いを込めることと感謝

それらは目に見えるカタチで伝えていく

 

そして与えるという表現も

それが見えるものでも、見えないものでも

私が経験したことはどれも本当だってこと。

 

与えてる人達が本気だってこと。まず自分に。

 

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こいもちゃんの芋が美味しかった風強い諏訪湖湖畔で

 

 

意味なんてない。好きな理由もその写真も。