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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

嫌いなもの、こと、人、そして嫌いな感情

ここのところずっと自分は何が好きで、何を楽しいと感じて、どんなことをすれば喜んで、どうしたら情熱的に居られるだろうって考えてたりする。 

 

だとすると、今の自分にはそれがないことになる。

 

ずっとこのテーマを漠然と追いかけてる感じが続いていて、憂鬱とまではいかずとも停滞な感じがして、

可もなく不可もなく、後退も進展もなく。

 

そして、自分から何かを始めるエネルギーが全く湧いてこない。

だからこうして書くことも凄く億劫だったりする。

自分の思いや考えを整理することに利用してるとはいえ

ブログという媒体を使ってそれを公開にしてるってことは、アクセス数が少なくても

外側との繋がりを作ることになるから。

そうゆう外側との繋がり、他者との繋がりに面倒を感じたり凄く億劫だったりするこの頃。

 

今思えば恐れに怯えながら生きていた時の方が、ある意味エネルギッシュだったのかもしれなくて

理由は、そこから逃れる為ならなんでもするぐらいな勢いがあったから。

死にたい毎日も、逃げたい毎日も、ある意味で生きることに必死だったと思うと、首を吊ろうとしてた自分さえ愛おしい。

 

誰かに何とかして欲しくて、棚ぼた的幸運をずっと待ち望んで

目に見えない存在にすがるように、同時にそれを毛嫌いしながら、やっぱりそうゆう情報をかき集めてる。

そして、なんとかしてくれそうな人に会いに行こうとする。

誰かや何かはヒントをくれるにしても、答えがそこにはないことにずっと気付かずにいるから、自分以外の誰かや何かにお任せってことを止めないんだろう、ってやっと薄々気付いてきた。

ヒントをもらいにいっても自分で取り組むことは後回し。自分のことは自分でやらないとってだけだった。

でもそれに気付けたのは、やっぱり追いかけまくった経緯があって

結局目に見えないコトがそれを教えてくれたんだけど。

 

心が先、想いが先。

そこは蔑ろにはできなくて、しかも自分のってことが重要で。

自分で出したものは自分で片ずけようね、みたいなことで

相手に感じた思いが憎しみだろうが、醜さだろうが、怒りだろうが

そうゆうよくない感情もちゃんと拾ってね、みたいなことで。

 

苦しむのは多分、自分の中に沸いたものを選別してどちらか一方だけを残そうとするからで

沸かせた自分を責めたり、沸いた感情を責めたり、相手や状況を責めたりし始めるんだろうな。

 

自分の嫌いなものになれるか。

悪魔になれるか。

 

それが自分の中にあることを許せるか。

 

今の私でいえば

あの人の前で普通にしていられなくて、このことに適当でしか居られなくて、出来事や環境に不満を感じて、あの人に怒りを感じて、醜さを感じて…

 

相手がいて、環境があって

それらに対して沸いた自分の思いに只々素直になること。

毎日はその繰り返し。


心地悪さの中に突入したなら、その責任は相手にも環境にも状況にもない。


自分の中の悪魔は最初からそこに備わっているのだからと、戦って排除できるなんて努力は前よりやらなくなったと思う。


元々、闇だった。

そのことにこれほど安心するなんて思ってもみなかった。

それを差し置いて別の何かになろうとするから苦しむんだって。