幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

母のこと

「他人中心」より「自分中心」のほうが、 人間関係はうまくいく!/心屋仁之助 (PHP Biz Online 衆知(THE21)) - Yahoo!ニュース

 

先日上のリンクの記事を読んで、その中のある言葉にひっかかった。

それから私の中では終わっていたと思っていた母とのことが急に気になり出した。

実家に帰ったり、弟の結婚式があったり、ここ最近の家族と一緒にいられる時間を私は意識的に過ごすようにしてきてる。

意識的にというのは、「言えなかったことを伝える時間にする」ということなんだけど

その言えないことと言うのを自分で自覚する必要があって

父の時も弟の時も、会うと分かったタイミングで自分の中になんとなく散らばっていた物が集まって形になる感じがして

宇宙のガスや塵が集まって星になるみたいに、砂鉄に磁石を近付けるみたいに、

そんな具合で自分の無意識が明らかになっていく。 

 


「お母さんはかわいそうな人」


これが記事の中のひっかかったある言葉になるのだけど

今までなんとなくそう感じてる自分がいても、それが問題だなんて思ってもみなかったし、母との関係で問題があるというより

父との関係の方をずっと問題視してる自分がいた。


記事の中にもあったけど、私は異様に人を怖がってきたし、そのことがダイレクトに生き辛さに繋がっていたからなんとかしたかった。

自分が何故そうなるのか分からなかった時間を過ごして、

父といる時間にずっと窮屈さを感じてきたことが恐れるということと繋がっていて

その理由が愛される為に怖がることであなたには逆らわないという服従の意思表示だったのではないか、と今は思っている。

そうゆう経過を経たからか、今になって母との関係が初めて違和感として上がってきたのだと思う。

恐れが多すぎて何も見えなかった。

 
かわいそうな母だと思う理由を、あれからずっと考えている。

それで、母がよく口にする「あなたの幸せを祈っている」という言葉が急にはっきりとした重さ変わった。


母が重い。


そう感じていたのは自覚していたけれど、母という生き物だからそれは当たり前なのだろうとあまり気にも留めなかった。


母だから仕方がないという理由であまり掘り下げなかったことを

あえてつつくような毎日に自分の心の狭さを感じながら

母に対して今まで感じてきた自分の冷たさや怒りのことを思い出していた。

なんでも打ち明けてはいたのに、どこか母に対して冷めた感じがして、寄るなって感じがして…多分それは母に対する憎しみじゃないかと思った。

そうゆう母への拒絶は、小さい頃にしてきた自分の我慢のせいではないかと。

宗教に一生懸命な母は、私を本当に愛しているのかという疑問と、宗教と自分を天秤にかけている。

あなたの大切な物は私ではないのか?

 


幼い頃に我慢してきた思いを確かめる作業。

 


恐れている人は怒りを持っている。

 


言われても自分ごととして捉えることが出来なかった言葉。

こんなにも恐れているのに、それも誰かから怒られることを恐れているのに

恐れとは逆の怒りが自分のどこにあるのか。

 


私の怒りは母に対するものだったんだろうか。

 
母が私を育てるのに一生懸命だったあの頃、母が大切にしてる「教え」も一緒に付いてきた。今でも母の希みは私にもその教えの世界を共有して欲しいこと。

 

そんなことに答えられるわけなかった。

 

私にそうゆう思いがあることを今度母に話そうと思っている。