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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

関心℃の高い湯シャンの話し。

アクセス数やいいねの数の高さでみんなの関心度が高い湯シャンの話。

湯シャンや布ナプキンにも言えるけど、現代社会の生活でこれらに切り替えていくのは結構勇気がいる行為だと思うのは、時間できっちり管理された働き方をしてるからだと思えてしまう。
時間を守れる人は信頼を得やすいし、そうでなければだらしないと言われたり、実際にメリハリのなさでだらしなさを自分に感じてしまう人は少なくない気がする。
特に女性の汚さとかだらしなさはがっかりする、というのは私自身が自分に感じてきたし、それは男性(父)にそう思われてはいけないという想いと、父はそれを許さないだろうという思い込みのせいでもあった。

湯シャンも布ナプキンもそうゆうところをしっかりと通らないといけない気がして、やっていた頃に夏場を振り返ると特急電車でも用意されてればいいのにと思えてしまうこともしばしばだった。

私は長女として育てられたというのもあって、真面目な母が第一子の子育てを試行錯誤とプレッシャーで過ごしてきたというのは聞いていた。
「しっかりしてるわね」と声をかけられる度、褒められた嬉しさだけじゃなかったのは今思い返せば確認できる。
母の一生懸命さが仇になって子供にその後影響を与え続けるわけだけど、それを愛情だったと分かるまでに私は相当時間がかかってしまったように思う。
楽しい子育てのできる母は子供に生きることが楽しいことだというのをその母のまんまでいることで伝えられるのに、と今は思う。
生きることが難しくて、厳しいことだとずっと思ってきたこの勘違いから抜けるには
自分の両親ととことん話していくという過程を避けては通れなかった。

湯シャンや布ナプをやるきっかけは、健康や自分を大切にする入り口に使っただけなのに
実は自分が上に書いたようなだらしなさを許してない自分に気付いたのはここ2,3日の話しで(あ、汚さやだらしないのが良いって話しではなくて)

許してないことはその許してない事に気付いた途端に問題じゃなくなるようで
昨日からの心の軽さというか自由さを知って初めて、それまでの気付かないで過ごしてきた毎日の見えない心の重さが分かってくるのだから
別に気付かなくてもそれなりに過ごせるのだとは思う。
ただ知ってしまった人は、同じように過ごしてる人へのアプローチはしたくなるのかもしれないから
癒しとかヒーリングとかそうゆう助ける側へ回る人は多いのかもしれない。

生きることは素晴らしいなんて言葉を毛嫌いしていたけれど、
今の私からすればそう思っていたあの頃の力みっぱなしの私に、別に素晴らしいだけにならなくてもよくて、そうゆう側面もあるよ、と言ってやりたかったりする。