幸せのためのエッセイ集

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湯シャン、その後のその後。

古民家に引っ越しをしてから湯シャンをやめてシャンプーを再開した。
夏場の暑さとかで、やっぱり湯シャンだけだと不安だったり、
今の家は共同風呂利用で入るお風呂が温泉だから
硫黄の匂いとか、それは髪にはどうなんだ?とか、まあ色々考えた末、
シャンプーを再開することにしたのだけど。

シャンプーといってもちょっと変わっていて泡立たないハーブの粉を使ったシャンプーでartbeing.com
私は湯シャンからのスタートだから洗い上がりの感じはさっぱり感とかサラサラ感を感じたけど
普段泡立つシャンプーをしてる人がこのシャンプーに切り替える時は、
髪が慣れるまでの移行期間がありそうな気がした。
匂いに関しては特別いい匂いというのではないけど、個人的には嫌な感じはしない。
ただ強い香料に慣れてる人にとってはこの匂いがアリかナシかは分からなかったりする。

湯シャンの髪とシャンプーの髪ってやっぱり違う。市販の方がいつまでもいい匂いがするし、さらさらだしって思うけど
湯シャンは自分の髪を大事にする感覚が育つ方法だと思ってて、髪がそれに答えてくれる感じがする。
自分の持ち物に有り難さが増す。
湯シャンを始めたばかりの頃は痒みや不快感が嫌になって市販のシャンプーに手を伸ばして継続出来なかった。
でもちょっとずつ3日から4日、一週間とシャンプーを使う間隔をあけていくうちに、
ある時触った感覚が変わった。柔らかくて滑らかで、自分の皮膚の延長のような感じになった。
灰汁抜き期間ともいえるようなちょっぴり嫌な時期を通り過ぎて
これが本来の自分の体の質だったんだと気付く感じ。
市販のものは優れてる。簡単に髪が言うことを聞くようにコーティングしてくれているんだろうなと思ったし
それを開発する人達だって、髪についての情熱は私の何倍もあるだろうから。

それとシャンプーを再開した時に思ったのは髪がすごく抜けやすくなる気がする事だった。
それでここ一週間くらいまた湯シャンに戻して、
髪をとくところから始めてドライヤーで乾かすところまで含めても、抜け毛は少ない感じがする。
たまに粉のシャンプーを使うくらいでしばらくは湯シャンで過ごそうと思う。

これはちょっと前の話だけど、シャンプーを再開して少したって久々の美容院へ行った時のこと。
私はそこで迷った結果、シャンプーなしでカットをお願いすることにしてみた。
やっぱりそれはどうなんだとか、でもケミカルなものを使うと髪を元に戻すまでまた時間がかかるかもとか...でもあえてしない事をお願いして良かったのは、美容師さんとその話を元にして
自分がいいと悪いに振り回されてることに疲れてるっていう会話ができたことだった。
食べ物の話になった時にその美容師さんは
今あえてマックばかりを食べてるって話をしてくれたことや、
常連さんの髪質がパサパサになってることに気付いて
食生活の変化で髪質が変わるって話をしてくれたことは興味深かった。

どちらでもいいんだと思う。
ただ自分で決める力がなくなってることがもどかしいというか
生きる時間のうち、そうやって迷ってる時間がどれだけあるのだろうって
そんなことに使う時間があるなら、もっと違った時間の使い方がしたいって思うからだった。
食べ物にしてもいいと悪いに振り分けて迷っている。

仕事を増やしたことを言い訳に、自分で食事を作らなくなって買って食べるようになっていた。
確かに時間がなかった。でもとても疲れていて、それを食べることで癒してる感じがした。
自分ひとりだけではそうゆう疲れを癒しきれない感じがしたから。
食べることを始めると、もっともっとと要求が強くなる。食べずにはいられなくなる。
仕事をしてると食べたくなるのは多少なりともそこにストレスが生じるからじゃないかと私は思っている。
休みの日に食べないでいられるのは例えば動かないからというのも確かにあるけれど
それ以上にリラックスの状態が体にいい影響を与えてるからだと思ってる。

食べる席はエンターテイメントだと思う。そこに好きな人が集えば楽しい時間になる。
物と楽しい空気を私たちは食べているのだと思うから。
食べることが身近になった今だから、無駄にしてしまうことがたくさんあると思っている。
たくさんありすぎて、すぐに手に取れて、そうすると薄れてしまうものがあると思うから。
自分で時間をかけるというのは感謝につながる。
食べ物は自分で作って食べたほうがいい。

昨日の夜、料理の上手な一人が渋皮煮を作るというから
ボールの中の水に浸かったたくさん栗をルームメイトと一緒に剥いた。
夜な夜な何度も水を変えて煮詰められた栗を今朝一粒頂いたのだけど、
とっても優しい甘さでこうゆうのを食べる度、
日本独特の繊細で柔らかい味は日本人の舌があるからだと思ってしまう。
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そして、その煮汁を染液にしたいというもう一人のルームメイトが
さっきタオルを染めて干していた。
綺麗なピンク色で不思議。
こんなゆっくりした生活を他の人たちが教えてくれる。
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また一食生活をここ2,3日で再開したのはそんな理由があるからだった。
丁寧に過ごす方が気付く事が多い。働くことに流されてしまいそうになるから
私は少しでも丁寧にやれることはやった方がいいと思ってる。

継続できるかは分からないけど、継続が目的というより、健康が目的より
丁寧さや感謝が満ちていくような生活がしたいだけなのだ。
自分を大切にする為の行動の一つとして
こうゆうめんどくさい生活を今は選んでるのだと思う。

どんな食事の取り方であっても、何を食べていても、どんな生活をしていても
自分を大切にして、丁寧に過ごせていて、感謝が出来ていて、そんな自分全てに満足できているなら
それでいいのだと思う。
ただ私にはそうゆうところに行くのはまだ時間が必要だって思うところがあるから。

東京までわざわざ行って髪を切るのだって、
繋がりや環境や時間に特別を自分で持たせてるからのような気がする。
自分が好きでわざわざやることは無駄にならない。髪なんて伸びてしまえば
セットしてもらった時のようなぴったり感とかリニューアル感はどんどん失われていくけど
ふとした時に切ってもらえたことに感謝できる時があるのは
自分の髪という持ち物が大切だって思わないと出てこないし
特別だと思って過ごした過去があるからだった。