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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

私の中の惨めさよ

この前の事。
休憩中に一緒に働いてるスタッフと話しながら、その彼女のことや内容から、私は不意に居心地の悪さを感じていた。
その話しの内容というのは今もらっているお給料の事から始まり、正社員とアルバイトでの金銭的な違いに驚くというものだった。
私は今までずっとアルバイトでしか生計を立てたことがない。一度にもらえる額は、拘束時間と体力低下の酷い時に金額がちょっと多いというくらいで、いつも余裕がないのが当たり前なのだけど
こんな自分だからしょうがないとか、酷い時はお金をもらう事さえ申し訳ないと思っていたくらいに自分の価値が低かった。
お金を持っているということにも罪悪感か、なくなる不安を感じてきている。
お金に対して好意的ではなかったし、お金より自分は低かった。

彼女は安定した収入を得るのが当たり前だった過去を持ってるから、今のアルバイトの収入の低さに、これからどうするか考えてる感じだった。
それで彼女はかわいい人で、彼氏もいて、当たり前だけどお化粧もちゃんとして、私より沢山のお金をもらう経験をしてる。
今の私はお金を自由に使えない、好きなことにもっとお金を出したい、女性としての自分にお金をかけてない、大切な人の為にお金を出せない...そんな思いがして、少し悲しいとか、空しいとか。つまりは惨めな自分がそこにいた。

「今日、いくら働いてもカツカツのアルバイト生活を選んできた自分とか
正社員ならもらえる額が大きいこととか
正社員が出来ないと思ってる自分とか
白髪を見付けて年はとっていく自分とか
髪をずっとお湯だけで洗う意味とか
女性でありながら女性らしさを感じない自分とか...
つまりはどうしようもない惨めさが出てきたわけで
そのどうしようもない惨めさを
雨の日の憂鬱と同じような諦めで窓から眺めるように、その惨めさを眺めて
そしたらなんだか初めて自分が女性であることを感じた気がするんだけど
惨めさと女性である自覚が何で繋がるのか分からない」
っていう心境。

あの居心地の悪さは惨めさだった。そしてこの惨めさは過去にも経験のある感情だった。どうでもいいプライドを守るように、それが惨めさだと分からないようにしてきたのかもしれない。
その惨めさを認めてから、働いても働いてもカツカツな状況が変わらないこのシステムとか自分自身に、初めて苛立ちを感じた。それは自分の価値が前よりも高くなっているからだった。今まで当たり前だと思ってきたことに違和感を覚えるようになった。
もらえることや、やれることが当たり前だとは思わない。働けることや好きなことができる環境が現にあることは特別だった。今への有り難さを感じることはとても大切なことだから。そうゆう感謝もちゃんと感じた上で出てくる自分の惨めさだった。
感謝は歓迎されるものだからそればかりになって、感じてるはずの惨めさを見落としてきた。良いも悪いもなく自分がどう感じるかを大切にすると、じゃあ、自分はどうしたい?が見えやすくなる気がした。

ここへ来てから、私は好きなことにお金を使っている。それも2つ。バレエと彫金。でも今は彫金をお休みしている。そして今度は好きな家に住む。家賃も上がる。
お金も儘ならないのに、どんどん始めてしまっているこの状況。実はとても怖いけれど。

掛け持ちも始めたけれど、雇われていれば自分の時間と労力を提供して、手っ取り早くお金を手にできる。今までめんどくさいとか、そうするしかないと思って選んできた事だけど、好きなことをやり続けるには今のスタンスでは限界を感じる。
自己卑下の中にいるとお金のことに取り組むにはハードルが高いような気がしたのは、お金が価値と価値を結ぶものだからだった。
自分の価値に気付けないと何も出ない感じがする。自己評価の低い人は、自分のやることにいちいち採点が低いし、そこに価値を見い出せないし、価値としないことがやたら多い。お金と向き合う事で自分の価値もどんどん発掘していける気がして
これからお金のことちょっと、ちゃんと考えようと思う。きっと失敗もするだろうけれど、お金との付き合い方も人それぞれでいい。

ちなにに引っ越しの決め手は人を呼びたいから。その為にあの家を選んだ。
家のことはとても楽しみなことだから。
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