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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

お試し人生

私の場合、書くのは時間がないと出来ないなと改めて思う。もっと時間があれば、もっとお金があれば、もっと、もっと...そうゆう思考はあまりいいものを生まないけれど、それでもやっぱり出てくる。だって「人間だもの」ってことだから。
自分の中にあるものを大切にすることから始めよう。それが例えばあまりよくない感情であっても。自分の中に湧いた思いに素直でいること。だからたまにはフテクサレなんてこともあるんだから。

さっき会話の中で話していたことをタイトルにしてみた。自分が取り合えずやってみようと、なんにも考えずお試し感覚だから行動することに抵抗がないのかもしれないと思った。
確かに本番だと思うと慎重になる。失敗が出来ないと思ってるから。
ところで失敗って何をもって失敗になるのだろう。自分の心にダメージがなければ失敗なんて存在しないのかもしれない。そのすべてはかけがえのない経験だと頭で思っているくらいなら、おもいっきりどん底でいたらいいと思う。
そんな私はお試しの連続で日々が出来上がってる感じがする。取り合えずやってみる、が連なっていく。
私は元来とてもエゴイスティックなんだと思う。ジャイアンなのだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、なんだと思う。そうゆう個性が社会へ出ると痛手を負うと思ってきた。そしてみんなが私を嫌ったように私自身も自分を嫌ったのだ。
でもそう思い込んだだけだったのかもしれない。自分が原因で嫌われたとか私のせいだと思うことで、私は自分の中のジャイアンを認めなかった。湧いた思いに素直でいるより責める方が自分を守るには簡単だった。集団の中で目立たずに音沙汰なく居られれば、取り合えずケガはしなくてすむっていうそうゆう守り。
でもそうゆう守りも行き過ぎてしまうと自分の事が何も分からなくなってしまう。守りすぎて、さらに逃げ切れなかった結果、自分の決意が上っ面だったと半ば諦めに近い自覚からお試しの方向性が自分いじめという向きから自己肯定開発に変わった。
好かれる為の努力より、自分を認めようとする色んな方法を試すようになった。
それで今は無理に好きにならなくてもいいと知った。
自分が抱くすべての思いは対等だった。嫌いも、惨めも、恐れも、怒りも...喜びや、楽しさだけが良いように見てきたけれど。
色んな思いに素直でいられることが増えてきたら、自分の中を認められたら、今度はどんなお試しをしてくのだろう。もうすでに始まってはいるけれど、それは次の機会に書くことにする。