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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

やりたいことがあって、でもそれをするにはお金が必要で、だからしばらく後回しにしていたことがあった。
ずっとお金のない生活をしていて、回りにも「ない」からと断る理由にしていたり、その事で助けてもらいたかったりしたのかもしれなくて。
無くなることがとにかく怖かった。その怖い気持ちを打ち消すように「ない!」を使っていた。
でももう「ない」と言うのは止やた。
どこかでお金>自分だった。自分には価値など見つけられなかった。お金への執着は恐れと心配の量で決まる気がした。恐れと心配を手放せないと言うより、恐れたくて心配したいんだ。それは無防備でいられないこととイコールだった。
「ない」と言うのを誰に、そして何に向かって言っていたんだろう。

先日、庭に花を植えてみようと思ってダリアの球根を植えてみた。
面倒を見きれないかもしれないとか、枯らしてしまうかもとか、頭の中で色々出てきて中々レジまで行けず地味に恐怖心を感じていた。
育てることは関わりを持つことだと思った。しかも自分から何かをすること。
何かしてもらってからの自動的なありがとうはしていても、心からのありがとうをわざわざ伝えることはしてるようでしてなかった。
そして提案したり誘ったり持ちかけたり助けたり、あえて伝えたりすることも、することよりされることに価値を置いていた。
私は関わりを避けてきたんだと改めて思った。何か起こったらどうしようという不安ばかりを優先してきたから。

守るべきものは一体なんだろう。例え花が咲かなくてもその経験を繰り返す度、新しくなる。それは口を開けて待つよりも明らかに早い気がする。
そして感謝の感度が上がれば、ないと言う理由が見つからないほどにただある言えるようになる。