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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

5月2日の続き

先日訪れた慰霊塔(1つ前の日記 http://haruradio.hatenablog.com/entry/2015/05/02/004204 )で私は手を合わせてお祈りをした。戦争に出ていく若い人達の気持ちがどんなものだったのか考えながら。今の平和な時に生まれた私にとって彼らの心境などとても想像できないと思いながら。

平和なときに生まれても苦しみを味わってる人はどれ程いるのだろう。そして私自身もずっと苦しみの中にいた。苦しんでいるのに、苦しんでいる自分の弱さに嘆いて苦しみが苦しみを呼んでいた。
でも苦しみをわかってる人は人の痛みを想像できると知った。どこまでも想像でしかない不確かで曖昧なもの。他人の痛みにはなれないと分かっていても。
自分の痛みがわかる人でなければ、誰かの痛みに心を奪われることもないのだろう、そう思った時
苦しんでいる自分に弱さしか見えず、ウィークポイントでしかない部分が崩れてしまった。決して変わることのない部分がこんな出来事で簡単に...。
苦しみさえも私に与えてられた素晴らしい感性に思えた。

今まで感じてきたものを頼りに、そして触れたものに影響されて、ただ私は上で書いたことを信じているのだと思う。
だって私が感じてるものも、戦争のことも戦死してしまった学生のことも、当時の人達の心境も、彼らへの祈りも、今の豊かさへの感謝も
全ては私の中だけの想像とイメージでしかないのだから。
結局は最初から最後まで自分の見てる世界でしかなかった。相手もそしてめくるめく起こる出来事全てに意味はなかった。
そこに対する自分の判断と解釈でいくらでも変わる世界、それが現実。過去も未来も同じ。
崩れることがない強固さも脆く崩せる事がわかれば、柔軟で自由自在だと知ることになる。
ここはそうゆう世界。