fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

つぶやき的な

私はこれにずっと取り組んでいたのかもしれない。執着なのかもしれない。そして今も尚、終わりなく続いているように思う。
恐れを越えられたら、強い人になれるとか成長があるとか...でも追いかけてきたと同時に感じないように避け続けてきたことだった。恐いと思うあの感情をもう感じたくない。それはお化け屋敷には入りたくないのと同じこと。
どんなことがあっても動じない強い心が欲しかった本当の理由は、穏やかな毎日が欲しかったから。それは穏やかではない毎日が続いていたら。
私は常に自分の中が穏やかではなかった。誰かに怯えていたし、自分の行動をいつも不安に思っていた。自信がなかった。上げればきりがない。でもその全ては恐怖さえ消えれば解決すると思ってきた。

「恐れ」を勝ち目のないモンスターのように感じながらも、その姿を私は一度も見たことがなかった。 なのにどんどん肥大化していった。見えてもいないのに何が肥大化していったんだろう?

お化け屋敷に入る前が一番恐かった。入ってしまえばなんてことなかった。いや、恐いは恐いけれど少なくとも何が恐いのか入る前よりよく分かる。
私の肥大化したものって多分、そうゆうことなんだろう。

恐い思いはなくならない。それは悲しくならないとか、怒らないのとかそうゆうのと同じことだから、それだと妙なことになってしまう。

美しさを表現するとき、醜さは排除なのか、越えるものなのか?そうやって出来上がった美しさはどんなものになるだろう。

私がやってみたいことというのは醜さが美しさを表現するとどうなるか?みたいなことかもしれない。醜さを前提にしながらもそれは完成されると思っている。美しさは醜さを含んでいるから。
幸せや喜びは恐れや悲しみを含んでいるから、と同じ。


夕方の暗くなってく部屋のなかでじっとしてるなんていつぶりだろう。
夕方の西の空の色に忙しく写真にしなければと、それは急かされる時間であり、同時に刺激的でもあったけれど。
今の私はといえばどちらでもよくなってるのだから。以前からすれば、今の状態はありえない。そのくらいただ家にいて、ただ食べてることが罪悪感だった。
音楽を聴いて暗くなる部屋で電気も付けずに、風が吹き荒れて、山の影に太陽は隠れて、もう暗いのか、それともまだなのか。そうゆう曖昧な時間ほど色気を感じた。

だらしなさと色気は紙一重みたいに、極と極が交ざり会うような瞬間は言葉にしずらく、それは男と女とか、白と黒とか、陰と陽とか、美と醜とか...全てに当てはまる気がした。