fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

自分の中にあるものを嫌いにならずにいられるのだろうか?
問題があるっていう動機の理由がどこにあるかをずっと探して、でも頭では見付からなかった。

悪いあいつは今どんな姿で、苦手なあの人は、恐いあの子は今日どんな顔してるだろう。さらには優しい彼さえ疑って結局みんなが怖くなった。

恐れはいつも私の前に立ちはだかって、いつもその前でまるで小さく踞っている。
何もできない何も、そう言ってる声に耳を塞いだ。見えそうになった途端、自動的に全てを塞いだ。

お金が無くなるとき、仕事がうまく出来ないとき、レスポンスがないとき...不安だった。

暗黙のルールがある気がして、その雰囲気をなんとなく信じてた。
嫌われてしまう不安が当たり前にあった。

ついにあの子を嫌った噂が広まった。

あいつはダメだ。あいつは自分の事しか考えてない!

私の中で同時に嫌われたくない!嫌われるの恐いと叫んでいた。

ルールを破るとやっぱり責められると思った。

だから溢れ出す不安も、嫌われる前提も、過去に受けたショックも、もう感じないように遠回りして、痛いものには触れず、そっとして。恐い思いはもう御免だった。

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教室にいる嫌われたあの子をまだ無視するの?避けるの?
あの子がいたら迷惑だから、独り善がりだから、自分勝手だから、ルールを守らないから、あの子がいたら息苦しいから、みんながそうしてるから
私もあの子を遠ざけるの?

でもあの子の傷みを知ってるよね?君も同じことされたから。
だからそんなにも怖がってる。

ねぇ、でも生きてるって生々しいよ。
みんな息をしてる。

恐れってどんなカタチ?
まるでぬりかべのような。電気ショックのような激しさ。まるで雷のような。

もう感じないの?もう感じなくて良いの?
もう怒らないの?もう不安にならないの?もう怖がらないの?もう泣かないの?
ねえ、死んでるの?

生きているから、全てを感じられる可能性と喜びを持ってるんだよ。