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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

これまでの流れのまとめ

山の上での住み込み生活を経て麓の街で暮らし始めても、すぐに仕事を探そうとは思わなかった。とにかく疲れていたから休みたかったのと、山頂の圧倒的な自然と社会性の少ない環境にいたのも手伝って、何も考えず持ってるお金を好き放題使ってみるというのをやってみた。
東京にいた頃は、ある程度の安定した収入が得られる状態だったのにいつも不安だった。ちなみに今だって不安が無いわけじゃない。でも不安で未来を暗くするのをやらなくなったからか、慢性的に追い詰められたあの感じがあまりしない。
初めて自分の制限を取っ払ってお金を使った。今思えばそれはどこか、もうどうにでもなれと投げやりに使っていたように見えてくる。
実際働きもせずにお金だけ使えば無くなって、お金が尽き始めると同時に時間を持て遊ぶようになっていった。

そこで自分が本当にやりたいことはなんなのかを考えるようになった。
今まで生きているのが苦痛で、仕事をするのが苦痛で、人と接するのが苦痛で...苦痛を消すことばかりに自分が傷付かない為に必死で、常に誰かからよく見られたい(認められたい)と思う事の方が中心で、当時はそれらに焦点が当たっていた。
結局苦痛からは逃げ切れないことが分かってきたから逃げるのを諦めて、自分が自分を認めなければ、例え他者の評価があっても納得しないから、自分さえ認めていればいいのが分かって、
だから今は焦点が違う所に変わっただけなんだと思う。

それで今は少し働き出してお金をもらい始めた。しばらくはやりたいことがないと嘆いていて、やりたいことが欲しかった。ここへ来てやりたいことが見えてきて、でも今度はお金がないと嘆き出した。

お金があってもやりたいことがない→やりたいことが見つかったらお金がない→お金を稼ぐと時間がない

こうゆう所をグルグルすることになる。

お金と自分と時間とそして仕事の関係。
そこでお金がなくなってきてから思うのは、お金があっても私はそのお金の使い方を知らないかもという事だった。
お金を好きなように使っていた時に、どこか投げやりに使っていたように見えると書いたのは、今ない状態の方がお金に感謝出来るからだった。それは使うのも貰うのもどちらにも当てはまる。それを感じた時初めて、お金を持っていた当時の感情や使い方がどうだったかに気が付いた。
あの時のもやもやはそれだった。「お金を持っていても、捨てるように無駄にしか使っていない。」事に気付かなかった。
感謝のないお金と感謝のあるお金で心の満足度や豊かさが全く違う。
お金の有無が自分の豊かさや満足や幸せには直接関係があるとは言い切れないこと。

やりたいことが見つかったら、もしそれを貫こうとするなら、どこか我慢や損や頑張る必要はあるのかもしれない。でも誰かの評価じゃない所からの本当に自分のやりたいことをやるってそうゆうことなのかもしれない。

でも今までの私を見たら頑張れないし、精神的にすぐ折れるし、また過去のような苦しみに陥るかもとか...そうゆう不安が立ち込めて来るのだった。
そうゆうことがいっぱい出で来るのが私にとって仕事をするという事だから、嫌がどうしても付き纏う。
でも今私がこうしていられるのは仕事をしてるおかげだし
職場での困難を助けてくれるのは、そこで一緒に働いてる人達のお陰だし
仕事をしてるからこその今でもあった。

変える必要と変えない必要。
きっとどちらをとっても本当にやりたいなら出来ると思う。
そしてとりあえずやってみればいいのだと思う。
ただやってみれば。

そうしてどうなっていくのかは考えなくてもいいのかもしれない。自分とあとはきっと神様とで、良いものも悪いものも何が出てくるか楽しむ位がちょうどいい気がする。

今までの自分の経緯に関係してるブログ↓
http://s.ameblo.jp/kokoro-ya/entry-11993484374.html