読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

良いと悪いの振り分けをしてる日々

まだ先のこれからを考えてる今、何かを選ぶ時はいつも過去のようにはならないようにという希望を無意識に抱いて決めごとをしてる。
それは過去の経験が苦いものや怖いものや、もう二度とあんな経験はしたくないものとして悪い思い出になって蓄積されてるからで、そうゆうのを避けたいと思うのは自然なことだと思う。
その回避の繰り返しの結果として現れているのが今の私だった。
たくさん働いて心も体も疲れたから、その反動のようにもう何もしたくなかった。だから息だけしてじっと動かないような本当に何もしない時間が増えた。
でも心も体も疲れきったあの経験が決して悪いものではないことを心のどこかでは知ってる。むしろその経験が宝物のような貴重な時間だったことも。でも辛すぎた。

同じ過去なんて1つもないはずなのに、私の記憶はどれも同じようにどんよりしている。確かに今までの私は楽しくなかった。苦しかった。だから私を説明する時に常に厄年だってことをよく言ってきてる。でもその過去を良いと悪いに振り分けてるのは今の私だった。
だから今の私が過去を悪く評価し続けてる限り、私の人生は言ってる通りの一生厄年で終わってしまう。
辛い思いをしたことも経験の1つで、楽しかった思いも経験の1つ。辛い経験ばかり思い出せば自分の過去が良いこと無しになるのは当たり前だった。それは自分勝手でとても偏った過去だった。
例えば辛くて泣いた時に辛かった気持ちだけを取り出して自分の過去にしてるけど、その時抱きしめてくれた人がいた事を思い出せないのはバランスが悪い。どちらも同時に起こったことなのに。
世の中にはこんなに優しい人が居るのかと驚いたのはその時で終わりで、今思い出そうとしてる事はその優しさやその場で泣くことを許してくれた事より、自分が異常なまでに緊張した気持ちとか、焦ってたり怖かったりした事ばかりだった。

でも、その気持ちさえ悪くない。
今はとても穏やかに過ごしてるけど、暗さも、ただただ怖がってきたことも、針の筵のような日々も、丸ごとあれで良かったと今言えることが本当は大切だって。
それだけの辛さがあったのは必死で生きてきたからだよと、今の自分だけが当時の自分を慰める事ができる。なぜなら、その何もかもを体験して見てきてるのは自分以外他に誰もいないからだった。
そして穏やかな今が良いわけでもないし、悪いわけでもなくて、そうやって色んな変化や経験そのものにニュートラルでいることで、自分のこれからの選択の幅はもっと広がると思った。

失恋したとか、いじめられたとか、お金とか...色んな場面で受けたショックが大きければ大きい程、その出来事だけが目立った傷跡のように見えるけど、そうゆう大きな傷だけをどうにかすれば治るわけでも、楽になるのでも、癒えるでもないのは体の傷や病気と同じ気がする。
もし苦しい日々を過ごしていたなら、それは誰よりも毎日を必死に生きているといって良いことだし、どの瞬間も選択も受けたショックも反応も感情も、それが消極的でも積極的でも...
その人にしかできないその人の貴重な一瞬一瞬なのだと今は思う。