幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

続・偏見という見えない枷

昨日は自分に質問続きだった。その答えについて今日考えていて、でも今現実に現れてる事がその答えなんだと思う。
人は信仰を持っていなくても、信じることと信じないことを常に繰り返してる。過去の経験がその決め手なんだろうけど、自分の経験(過去)ほどあてにしてるけど

でもそれほんと?

その疑いようのない過去に自分が傷付いた経験があって、もし今円満でないなら、自分が信じてるものに縛られてるって言えるかもしれない。
自分の過去や経験は嘘じゃないし、傷付いたり嫌な思いも確かにしたけど、もし他の誰かが同じ経験をしたら、自分と同じように感じるものだろうか。そして問題として今も悩んだり、過去を繰り返さない努力をするだろうか。
きっと違うと思う。

今幸せならそれでいい。
今問題や悩みや不安や、明確に言えないモヤモヤや、やるせなさや、いいとは言い切れない何かがあって、でもその状態を許してるのは誰でもない自分だった。

私はどちらでもいいと言い聞かせるように使ってる所があって、昨日もそうだった。それはどちらかに片寄るのが怖いというのと、いけないというのが混ざっているからだと思う。
でも今の私を押しやってまで燻ったように過ごす日々をいつまで続けるの?
どちらでもいいなんてそんな大人ぶった視点でいられる程の経験したの?
もし今の自分に満足してないなら、自分が信じてるものを疑っていい気がする。

例えば人を傷付けないように配慮しようとするのは、傷付いた過去を持ってる人の発想で、それは優しさのようで同時に怒りの回避や恐れないようにする為の防御。
私はずっとそうすることが正しいと思ってきた。でも同時にとても窮屈だったはず。正しさの壁はそうゆう窮屈さに気付けない。それは正しさの成せる技。

例えば誰かと居て落ち着かないのは、コミュニケーションで自分は傷付くかもとか、他者を傷付けるかもという不安な自分を信じてるから。
実は自分が一番の危険人物だって信じてる。
だからもう自分は安心で安全だと信じることにする。
でも過去を信じてると、きっとどうやって?と言いたくなるんだよ。
今の状況を変えたいなら、つべこべ言わず最初にそうゆう自分に設定し直して
後は知らないって丸投げするくらい、未来を信頼すればいいんだよ。


今私は色々探したり試したりしてるんだと思う。こうしてブログを書きながら、考えながら。でも本当はどうしていけばいいのか分からない。なのにとても欲張り。
昨日行ったのは言葉にするなら瞑想会とかエネルギーワーク。私はこれも人には必要なものだと昨日の会で思った。というか決めた。
アクセサリー作り。これ楽しい。
あと写真。これはフィルムがある限り撮り続けてる。自分のエゴ。