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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

ブログを初めてもうすぐ1ヶ月。自分の生活の仕方、考え方、感情、思うこと、価値観...例えば生活の仕方などの外側のことは変えられても、感情や価値観のような中側のことは変えられないとか、決まっているものだと思ってきた。そうじゃないかも?となってから、それら全ては自分で創っていける事=デザインしていけるのではないかと思ってこうしてブログを書くようにした。
先に色々発信してる人や惹かれるものを参考にあるいはそんなこと破りながら、日々暮らしてる。

最初は食事を見直そうとして、具体的には1食にしたいと思っていたけれど、1ヶ月の流れで月を意識したり、月経を意識したり、この自分という個性がどんな特徴を持っているかを知って、それに合わせる生き方をする方がいいって感じになってきてる。でもやっぱり食が体の為とはますます思えないながらも食べているけれど。

感情そのものは変えるものではなくて、受け止め方をどうするか?なんだと思った。
1つ前のブログに載せた「鬼はどこ?」の4コマ漫画も単に笑って終わりでもいいけど、あれに真面目に感化される自分もいて、それは鬼さえも排除しないで取り込む感性もあるって価値観のことだと思う。
愛そうなんて努めなくても惹かれるものには惹かれて、嫌な思いもして、その好き嫌いさえ変わってく曖昧なものなのだ。

みんなそれぞれ違いがあって、自分の中も一定ではない。誰かを受け入れられなかったり、自分の中に出てくるものも白から黒まで一気に上がったり下がったりする。そうゆう変化に違和感を感じなくていい。
極端が悪いなんて聞いたりするけど、実は私はそうは思ってないからそれを表現できると思った。だってあれほど分かりやすいものってないから。
みんな今の自分のままで何も悪い所なんてないよって、漠然と何となく感じてきてる。

あとこれは余談?だけど、昨日は夜中布団の中で嗚咽していた。手嶌葵の歌声が優し過ぎるからという理由で。ほんとは声を上げて泣きたかったくらい抉られるものがあった。彼女から出てくる吐息、音、声が優しくて、それは癒されるというのとも違くて、聴きながら優しさのイメージの一つ一つを想い起こしていた。

一輪の花を摘まずに自分の手のひらで包んでみたり、小さな子供の手を大きな大人の手で囲んでみたり、後ろから抱きしめらることに身を任せたり...
優しさを受け入れられずに抱きしめられるのを嫌がる子供がいても、無理に抱きしめないでそれをただ見続けていたりした。
愛ってそうゆうものかな?私はまだそれをしたことがないって自覚があって、多分それは全部「do」だと思うのだけど。教室で自ら進んで手を上げるような。でも委ねるや見守るというのは決意が必要なものって思ってしまうかな。
http://youtu.be/sUJz8CnKQw0