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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

このブログの一番最初の記事に書いた「無関心や冷酷や愛情がない様子を自分の中に見て」というのと
一昨日に書いた「 私にはそうゆう残酷さと凶暴さがある 」というのは
どちらも持っていてはいけないものとして
自分の中に感じた瞬間見ないか
そんなものあるはずないと絶対認めなてはいけないものだったと思う。

自分が辛くなる時はいつも自分をいけないものとして扱ってる。
でも辛い最中はそんなことになかなか気付けない。

自分の中に何が出てくるかは自分でも分からない。でもそれが酷いとか危険な種類のものって判断したから
どうにかしなければと思ってきた。
そうでなければ自分は排除されるという恐れがあるから。たとえ自分の持ってるものがあまりいいものだとは思えなくても、あると認める事と否定する事ではそれなりに違う結果になるのでは?と思ったりする。


おばちゃんに自分のやり方を注意されて
自分には理解し難い理由で怒られて面食らったけど
その理不尽さに自分も怒るっていう夢を見た。
そんな種類の夢は珍しかった。
自分が両親以外に怒りを感じてるのも、私は現実でそうゆう場面に出会った事がありそうで、実はあまりなかったから。自覚してる部分でしかないから見えてないだけかもしれないけど。

「こうすべき」って決まりごとは人の数だけあるんだと思う。自分がそこに理不尽さを感じても。
相手にその「こうすべき」を押し付けてられても
それは相手の問題であって、自分が悪いからと捉える必要はなかった。

相手の怒りを受けて弱くいる事さえ優しさと勘違いしていたかもしれなくて
むしろそれを何とも思わなかったり、影響を受けないことの方が相手への優しさだったりすることもあるんだと思った。

恐れているから守るためにしきりなんだ。
私もそしてあなたも。


目が覚めてる間
自分が本当に何もしなくなっている。

何もする気が起きないのか、それともお金のせいなのか。
すると、何もしないでいることに抵抗が出てくる。

自分と向き合う事に懸命でいることなんて
ほんとはどうでもいいんだろうな。