fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

満月に狼じゃないけれど

満月が近くなると
自分の体も心もいつもと何か違ってくる。
狼じゃないけど
自分では満月の影響だと思ってる。

そこに女性の月経周期も関係してるんじゃないかってことも。

今の自分ではその変化をよしと出来ないでいる
というより、この時期の衝動との付き合い方が
見当たらないと言った方が正解で
今回はそれらが強く出てると思う。

冷静ではいられない種類の何か
でも痒いのを我慢すればできるくらいのハードルの低さなのに
内心、我慢ならなかったりする。

着地点が定まらなくて、言葉にすることが難して
書いては消しての繰り返し。

今日はようやく少し落ち着ける所にいるみたいなので
こうして文章にしてる。

料理もしなくなるし
貪るって表現がしっくりくるし
どうしたら良いか途方にくれて
迷いと落ち着きなのなさで充満してる。

お腹も空いてないのに
結局食べる行為にしか頼れない。

「どうせ私なんか」と出てきたら
諸刃の刃のように自分も相手も
切りつける準備をして
世界の中の殺し合いさえ歓迎できてしまう。
みんな死ねばいいって
私にはそうゆう残酷さと凶暴さがある。

それらの想いが満ちるのは
まるで満月が満ちるのと似てる。

そして自分が持ってる普段押し沈めているものが
その光に照されるような感じさえする。

だからあるものは仕方がない、と
今回初めて諦めてる。

表に出てるかどうかは別にして
私の中で
優しさも謙虚さも落ちて
素っ気ない、ウザい、投げやり
イライラした雰囲気。

自分でそうしていながら
それが許せなくて、嫌だと思ってる。
だからそんな自分に居心地悪い。

そうしてるうちに気付いたこともいくつかあって

結局自分が普段恐れてる相手の態度
そのまんまだった。
そうゆう態度を他人にすべきではない
というマイルールに気付いた。

そうゆう態度が相手を傷付けるからという理由で。

でもそんな態度で傷付いていたのは
誰でもない自分だった。
自ら傷を付けに行ってるようなものだった。

本当はそうゆう態度のお前が悪いと
言いたかったのかもしれない。

その無意識の相手への批判は
自分が恐れる態度を取ることで
表現してたようにも感じる。

「いつまで被害者の立場をやるのか」

怒りやイライラした態度は確かに怖さを感じるけど
でもその態度事態、相手はなんとも思ってない。
誰も傷付けようと思ってやってる訳でもない。
人は怒る時は怒るし、笑う時は笑う。

それは表現の自由でしかなかった。



あと、もう1つ。

さっき自分の中の残酷さを書いたけど
この事と世の中の残酷な出来事は
関係がない訳じゃないと思ったこと。

テロや、終わらない戦争のことも
日本人のジャーナリストが人質に捕られて
公開されることも

沢山の命が奪われて

奪う側を悪として敵視する限り
被害者でいる限り

対立は終わらないこと。

一人の心の平和の仕組みは
世界の平和の仕組みと同じこと。

私はメディアは見ないし、本当の所どうなのか
分からない。

ただ外側で起きてる紛争も
心の中で起きてる争いも
加害者も被害者もいないことを
教えてくれてるように思えて。




後藤健二
kenjigotoip@

目を閉じて、じっと我慢。
怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、
裁きは神の領域。

そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

2010年9月07日 - 10:49pm

https://mobile.twitter.com/kenjigotoip/status/23238345864