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fantasiaの為の研究ブログ

主に心のこと、頭のこと、意識と無意識、精神的なこと…スムーズに生きる為に経験をoutput

願い事っていわれても

新月に願い事をすると良いって内容を
色んな所で目にするようになった。

東京にいた頃
写真を撮る為に、本当によく月を追いかけていた。
満月の頃だけ月は夜中その姿を見せている。
月は太陽と違って毎日月の出の時刻が大きく変わる。
それが満月になるタイミングで
日の入りと月の出が同じくらいになる為
西の地平線に太陽を見て、東の地平線に月を見ることができる。
その機会に立ち合える度に思う
地球や宇宙のリズムの完璧さ均整と想像を越えた美しさ。

月は上がってくる時刻も毎日違うし
満ち欠けも軌道も不思議で、どこか気まぐれで
満月は出産が多いとか、竹取物語とか...
なんとなく女性的な星だと思う。
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願い事なんて叶うわけがない
というスタンスで生きてきた私が
冬至新月が重なる稀なタイミングということも手伝って
願い事をしたのがちょうど1ヶ月前のこと。

願い事ってたくさん持ってるつもりで
でもそれが本当に自分が欲しがって
願っているものなのかと
昨日その時に書いた願い事を読み返して思った。

私は今まで苦しいとか、怖いという想いの中にしか
生きてこなかったから
とにかくそこから抜け出したいという事だけが
いつも何よりもの願いだった。
選択の基準もその怖さに耐えられなくなったら
居場所を変えるような選択しかできないから
迷いというのがあまり無かった気がする。

それがここへ来てどうしたものか
判断基準が以前のそれではなくなってるようで
例えば
彼氏できますようにとか
収入増えますようにとか...書いてみても
みんななぜ揃ったように同じような願い事をするのだろうと。

もちろんそうなったら喜ばしいと思う。
でもそれ本当に自分の願い事なのかな?と
どこか取って付けたような感じがした。


幸せに...というのが願いだとするなら
どんな時に人はそれを感じられるのだろう。

私は誰かに何かをしてあげたいという想いが
あまり沸かない。

自分の事なのに不思議がるのも変だけど
自分を責めるのを普通にやって来た私が
これに関してはそうする気も起こらない。

何かをしてあげたいと思えない自分はありなのだ。


そんなことを考えながら昨日は願い事がなんなのか
分からなくなってた。

でも、だからそれを願い事にしようと思った。
ここで「それ」が何かは書かないけれど
分からないことが分かるように
ということかもしれない。


幸せに...というのは
自分の喜びのことのように思う。

みんなどんな瞬間に喜びを感じているのだろう?
私はそれを感じる感性を持ち合わせているのだろうか?

まだ知らないと思ってしまう。
それとも感じていたのに忘れてしまったのだろうか?
きっと後にも先にもないのだろう。



今日久々に写真を撮りに行った。
こうゆう風に何となく答えなど出さないで
なんだか腑に落ちないでモヤッとしながら
喜びにカタチを付けなくても
今の私はそうゆう季節を過ごしてるから
考えること自体ナンセンス。

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