Love life, love my world

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もし何かを責めるなら

何か自分には欠けている

不完全、不十分、満たない、欠けている、出来ない…

 

それが例えば、

病気とか、収入、見た目、役職、とか分からないけど

 

今の自分を自分自身がどんな目で判断して評価してるか。

 

自分のことを悪いなんて思ってなくても

そんなことにも気づかないほど

当たり前にダメだから悪いから

治そう正そうとすることに慣れたのが大人って生き物かも。

 

 

そして自覚してるよって人ほど何かに怯えているものだけど

 

 

その強烈に恐れている強いとしてるものが本当に強いのかといえば

強いものほど吠えるっていう犬の話しを思い出せればいいね。

 

 

自分の醜さを見ないと自分の弱さに触れられないのは

 

 

マリオがクッパと戦ってピーチ姫を助けるみたいなゲームみたいだし

あの悪役やボスが自分だなんて思いたくものだけど

 

強固すぎる番人ほど

その奥にあるものがすくえない程の小さと弱さがあるし

 

弱すぎる戦士ほど

その奥にあるものは戦おうとしてるボスと同じだし

 

いつもそのストーリーはどこか似てて

若干飽きてきたのかもしれないと思う今日この頃。

 

でも、それに慣れてるからとは簡単に言えるけど

それでも、どうするかは実際やっていかないと分からないよね。

 

 

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豊かさの定義

特別な毎日が過ぎて行く。

 

日常という特別。

 

それは例えば…

 

ゆったりお風呂に浸かれることかもしれない

 

今日もご飯を美味しく食べられることかもしれない

 

こうして花を愛でることかもしれない

 

好きな雑誌を手元に置いて眺められることかもしれない

 

好きな音楽を枕元にして寝られることかもしれない

 


当たり前の日常を

こんな風に捉えたことは今までなかった。

 

今聞ける耳、見える目、響く感性、

 

雨風しのげる家、飲み水、、、


身体のこと、身の回りのこと

人は繰り返すことで慣れてしまうから

 

当たり前という特別は

自分から見に行こうとしない限り

なかなか見えないものかもしれない。

 

 

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コンプレックス

 

ある時、この見た目のせいで

私には幸せがやってこないと思ってる自分を見つけた。


「彼氏ができないのはこの見た目のせい」とか

そうゆうことだった。


先にお金について同じことを気付いたからだけど

「お金が稼げないのはお金のせい」って

訳わからないけど


そのくらい全部お金に押し付けてた。

目の前の紙切れのそれに。

 


「お金が稼げないのは自分に能力がないから」って

自分のせいにしてきてるつもりで


そうやって自分弱く見せて

そうやって自分が弱者の着ぐるみ着てるだけ。


全部自分が悪い

お金稼げないのも

いつまでも見た目気にするのも

 

そうやって自分のせいにしてる裏に

何かのせいにしてる自分を隠してる。

 

醜い自分隠してる。

 


お金のせいでも見た目のせいでもなかったけど

それのせいにしたかっただけ。

 


ある時、髪がたくさん抜けていって

女性なのに自分がものすごい勢いで老けてく感じが

した。


とてもみすぼらしく思ったし、どうしようもないと諦めてた。

 

でも、今既にある外側の見た目よりも

 

自分が持つ、それこそどうしようもないこの内側の醜さを

先に認めようと思った。

 

髪の毛はもう抜けてしまったわけだし

今更見た目が急に変わるわけでもないなら

 

顔や姿カタチや

能力やお金のせいにするのをやめて、


そうやって隠しながら何かのせいにする

自分の中にあるその醜さから認めることにした。


自分を棚に上げて誰かを判断してる小さな自分がい

ることに

ごめんなさいと謝ろうって。


そして、所詮そんな人間でしたって。

 

 

この見た目のせいで

私に幸せがやってこないなんて


全部を見た目に押し付けた。


自分が気にしてる髪や顔や身体が

いつ私を不幸にさせたのだろうか?


彼らは私を生かしてくれていたというのに。

 


見た目の美しさは

自分がその持ち物全部を大切にする所から始まる。

 

たとえそれが醜さだったとしても

 

見えない所に美しさがあるって

自分が信じる場所を外側から内側へと変えていく。


それを自分だけが見つけてあげる。


そして再び

自分の為に外側や身体を大切に身綺麗にしていく。


今度は誰かに見せるためにそうするんじゃなくて。

 

お前のせいでなんて責めずに

今度は、感謝を込めて。

 

外側に合わせる為に自分を責めるといういじめは

もういらない。

 

 

 

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〝ネガティブな感情〟と呼んでるものたちは

 

ネガティブな感情は

わたしを追い詰め、傷付ける為にやってくるのかしら

 


生きている限り

ネガティブなものは消えない

 


ただそこに居て現れては消える

それらに怯えて緊張で待ち構えるのか

 

それとも、それが来ても力を抜いて

そこに居ることをただ見てるのか

 


怖がらないなんて無理

だって、強いわけじゃないから

 

 

でも、それらは本当に

〝わたし〟を傷付ける為にわたしの前に現れるのかな

 


もしかしたら、あちらも怖くて狂暴にするけど

ただ違いを知らせに来てくれるだけなんじゃないかって

 

そっちではないよ、と。

 

 

そう思ったら、ゴミ扱いなんて出来ないわよね

 


ある人が言ったの

人生は辛いもの、困難が多いと

 


それとは別の人生があるとでも思っているのかしら?

 


ふと、思った今日の日

 

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感情との付き合い方


たまに自分が感じたくない感情に呑まれてたりする。

 

今までもこの感情のついて

どう付き合っていけばいいか

色々探したり、読んだりして来た。

 

不安や恐怖をどうにかする為に

頭で考えて、分かったり気づいたりすることに価値を置いて信じてきてた。

 


知識だけ詰め込んで

人よりも何でもいいから特別でいたかったというのを叶えようと必死だった。

 

 

感情を感じたら、頭で処理しようとしていたけど

それは上手くいかなかった。

 

 

それで、付き合い方というタイトルにした割に今から書くのは

何の脈略もなくて夢みたいな話しとか

最近の覚え書きだから

タイトル違いかもしれない。

 

 

 

1.感情について

 

自分が今何に不安や恐怖を抱くのか見てみると

 

怒りで目がつり上がってたり

物を投げたり、壊したり、ドアを強く締めたり

そうゆう激しさや

 

その矛先が自分に向けられることや

 

自分に興味を持たれないことや

 

自分がしたいことのために、相手の気分を考えずに自分主導で事を運ぼうとする傲慢さや

 

いじめに見えるとか喧嘩とか

 

〝相手の気持ちを考えなさい〟と言われて育ったルールが無視され続ける目の前の環境とか


そうゆうのが怖くて地獄絵図のように見える。

 


過去の不快な感情がまた来て欲しくないから、

過去のその時の不快な感情になることの方を余計に考えて

 

何も起こってない今が不快。

 

 

2.母との会話

 

起きがけに母とした電話だから

もはや夢かもしれないのだけど

 

母も私も今、同業種で

 

先日あげた愛着障害↓の話を母としていた所に

不安のまま、怖いまま、とりあえずそこに居てみる。 - 不器用さんの幸せエッセイ集

なぜかジブリの「となりのトトロ」は

あれは神隠しの話だと母が言っていたのが後々妙に気になり出す。


トトロといえば私にとっては

ふかふか毛布みたいな安心の存在だったのに

 

母の一言で今までのファンタジーが壊れて

ちょっとがっかり。

しかも母がそれを言ったというのがまた複雑な気分。

 


そして同じタイミングで

ジブリの都市伝説は結構あるらしいと言うのを子供から聞いたのも、ちょっと複雑。

 

でも自分が母とか子供という存在に思い込みを持ってるから

ちょっとしたがっかりや複雑感があるのかも、

なんて思った。

 


悪いと思うことも、良いと思う事も

そう思うこと自体、片側だけを虫眼鏡で狭く見て

 

全貌は一度も知らない。

 

 


3.新しい知識(日本の神様の話し)

 

最近、本棚で

日本の神様を絵で紹介する児童書を見つけた。

 

私の神様のイメージは清く、正しく、強く、美しい。良い。天国。

ざっとそんな感じで

 

それ以外は悪いとか地獄とか、汚いとか

そんな感じで

 


でもこの本の中には

ヤマタノオロチ〟や〝御霊〟といった

所謂悪そうなイメージのものも

神と同じ扱いで紹介されていた。

 

ヤマタノオロチは神でなくて怪物じゃないのか?とか

ヤマタノオロチ - Wikipedia


怨霊から御霊というのは知っていたような知らなかったような…とか。

 

なんかその流れで

ジブリの「もののけ姫」の祟り神を思い出した所で、御霊信仰wikiを読んでたら祟り神がいた。

御霊信仰 - Wikipedia

 


ヤマタノオロチ竜神だとかなんだとか

 


境界線が曖昧で、

何が神で神が何で

神の怒りなのかと思えば、怒りの神なのかとか

 

 

wikiでちょっと読んだだけだけど

日本の神様たちのやってるそれ自体

ルールもないし激しいし

なんだか地獄にも見えてくる。

 

 


自分が思い描いてる神様が既に

白と黒なら白い方、良い方として来てる。

 

でもここは日本。八百万の神

 

うんと底の下の暗い所から

うんと高い上の光までの至る所全てに

自分には神だなんて思えないものまで

本当は神様が散りばめられてるのかな。

 

 

 

#桜#路地#神様#ブログ更新#帰り道#蔵

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自分が目の前の出来事で感じる

不安も恐れもカオスも地獄も

 

それと別の世界として

安心や幸せやコスモスや天国があるんじゃなくて

 

そうやって二つに別れてるものではないのかもしれない。

 

 

目の前がどんな美しくても、それとは別の見方が存在する。

 


私という視点が感じる事がどんな事であれ

良し悪しで振り分けずにいる事が最初。

 

ざまあみろって思う私が居ても

そう思うなら

それを良いとか悪いで否定するのをやめてみる。

 


そんな自分を正さなければバチが当たると思うほど

自分の湧いた思いが酷いものだとしてるけど

 


感情に問題はない。

感情は出るものだから。

 


それが出て、そう思う自分を受け容れると

なぜそう思うのかもわかってくる。

 

きっと何か傷付いた過去。

 


感情は元々それがあるよって

自分の中にある物を教えてくれるサインみたいなものだから。

 

どんな感情にも

「ああ、そうなんだって」

見てあげるけど、何もしない。

 

多分だけど、感情も考えも

それが私ではないからなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前のカオスに出会ったら

 

目の前の鬼に出会ったら

 

そして、自分の中の不安と恐怖に出会ったら

 

おめでとうを言おう

 

祭りで神々が踊ってる躍動を見ている

 

うちの中でも外に出ても踊りで溢れてる

 


まるで

 

激しい神様と穏やかな神様がいて

 

怒りの神様と許しの神様がいて

 

悲しい神様と嬉しい神様がいて

 

傲慢な神様と謙虚な神様がいて

 

安心の神様と不安の神様がいて

 

 

 

その対極はどちらも祝いの席でした

 

その全てが神様の祭り事として

 

特別に用意された招待席で私はそれを眺めてる

 

ここで今生きているということは

 

そうゆうことかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

不安のまま、怖いまま、とりあえずそこに居てみる。

 

愛着障害という言葉を最近聞くようになった。

 

愛着障害(アイチャクショウガイ)とは - コトバンク

 

 

子どもの行動を見た時に

壁をずっと触りながら移動してるとか

よく高いところに登るとかもその傾向の一つだとか。

不安だから何かに触れてないと落ち着かない。

 

被害妄想や自意識過剰も。

 

なんかそれ私のことじゃんと思ったりした。

 

ずっと手放すことのできなかった毛布は

安心の象徴だったんだと

改めて思った。

 

 

ブランケット症候群なんて名前もあるみたいで

なんだかキリがない。

 

それがあることを嫌いにならなくていいのに

わざわざ嫌いになる為にそう名付けられてるみたい。

 

 

 


三つ子の魂百までというのは

本当だと思う。

 

人格形成で3歳までの時期に

親とのスキンシップの少ない子供は

この世界を危険な場所として見やすいと言うのを何かで知った。

 

それも単にタイミングの話しだけで

親はしっかり私を愛してくれている。

 

そう思える今があることを思えば

親との関係性で苦しんで来たのも悪くない。

 

ありがたい経験だから。

 


愛着障害というほどのものではなくても

不安や恐怖をすぐに感じやすいというのは

自分には当てはまるけど

 

それだからって不安や恐怖をなくす為に

自分の命を費やすのはいかがなものだろう?

とは思うようになった。

 

頂いた命を活かす生き方はしたい。

 



不安で心配性という側面よりも

わがままで傲慢で理不尽で強烈に怒る子供だった時の自分を

いつも私だと思ってるから

 

セルフイメージは

本当に狭く限定されてるものなんだ。

 

それで

そんなわがままで傲慢で理不尽に怒る子供を見ると

逃げ出したくなるのが今の私だ。

 

関わりを拒絶したくなる。

 

でもそれって、

=自分との関わりを拒絶したくなる

 

だし、

 

相手との距離がそのまんま自分との距離。

なんだろうなって。

 

ちょっとの勇気。

その繰り返し。

 

 

不安や恐れが来たときにそこに飲み込まれるんじゃなくて

 

「それでも今、どうしたい?」

 

そうやって

私を今に戻すようにしよう。

 

 

 

 

 

 

幸せの見つけ方

 

お腹が空いて、川べりでパンを食べた。

 

休日の街から少し離れて、もう少し離れて

もっと離れて

 

自分がほっとできそうな所まで離れて

休日ではないけれど、

休日のあの懐かしい夕方を思い出せる所まで離れて

 

家まであと少し。

 

そうやっていつも近いものからは間を開けて

 

今聴きたい音楽を用意して

心を開くように

自分が近づきたいものと向かい合う。

 

 


いつもどこか別のものを探してしまう。

 

別のドラマを見過ぎて

別の人の人生を夢見て

特別で派手な何かに憧れて。

 

 

住んでる家

通う道

してる仕事

作る食事

関わる人

 

生活

 

自分が見てるドラマはそこにある。

 

特別ではない平凡な普通の毎日。

 

誰にも知られることなく、埋もれて誰にも見つかることのないこの一つを

 

世界で1番に大切にしたら

 

案外どの瞬間もドラマチックかもしれない。