幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

厳しさは一体誰のためのものだろう

 

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https://www.instagram.com/p/BalBJXHlaf_/

#紅葉#黄色#自然#秋こんな黄色いの見たことないってくらい強烈発色

 

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https://www.instagram.com/p/BaloRNXlIrX/

#秋#紅葉#写真なんかしつこいくらい写真あげてるけど本当に綺麗だと思う。何時間前に写真撮って、撮った場所〝生〟には劣るとはいえまた今こうして見ることでその時感じてるモノを強化して、強烈な記憶になる。だからね、それが心地いい感じなら良いんだよ。

https://www.instagram.com/p/BaloqDOlbKE/

葉脈が浮き出るなんてこの瞬間の葉っぱなんだね。地球は美しいって思う。自然は美しい。そのカタチが正にそう。今しか見れないよね。

 

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本当に綺麗で

この自然の中に居られるのも、あと僅か。

 

私は何もすることがなくて遊び呆けてる。

帰ることもできるけど

ここに居られるのは当たり前じゃないから、遊ぶことにした。

 

 

先日、taoという

和太鼓のパフォーマンスグループのコンサートに連れて行ってもらった。

 

https://www.instagram.com/p/BajasxhFmSL/

#太鼓#tao#コンサート#体育館✴︎色んな意味で衝撃😮今の時代の新しいカタチ。マジで時代変わったんだわ…今までのような厳粛さがなくて和太鼓なのに軽さが凄い。真面目を守ることが、バカバカしく思える。楽しんだもん勝ち。そうゆう世界感。

 

演者が1番楽しんでたと思う。

伝統的な和太鼓のイメージが壊れた。

重厚で厳格な感じがなかった。

もちろんみんな本気だけど

窮屈さ緊張、そうゆうのがない。

演奏中なのに子供が多かったのも含め、みんな自由過ぎ。

 

自分が守ろうとしてるのって

何なんだろう?

楽しむこと、私らしく私自身であることは

 

誰かの許可がいるんだろうか?

 

いらないのに、まだ何かを必死で守ろうとしてる。

 

何となくあの会場の雰囲気と楽しむ彼らに触れたら

今の自分の現状を炙り出された感じになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劣等感とどう向き合うか?


 

https://www.instagram.com/p/BaXlWjqlUbL/

#今朝#夜明け#早朝#月#星#畑#地球#宇宙

https://www.instagram.com/p/BaayHM9FMVW/

#朝日#夜明け#ブログ

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https://www.instagram.com/p/BaYux0oFaBV/

#秋#ススキ

 

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https://www.instagram.com/p/BaYsZ04l6a-/

#八ヶ岳#秋#山#自然#写真#森#木#苔

 

上の写真は今年の秋のお山の様子。

八ヶ岳遊歩道を歩きました。

 

ここから下は去年の同じ場所。

撮影は9月始め頃⬇︎

 

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Yの字に横たわるこの木も

今年秋の上の写真だと、もっと地面に近く横たわっていて

キノコが生えてました。

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Baahr-Xls_o/

#秋#夏#季節#変化#滝#自然#写真

 

季節は変わり変化し続けて、私達を飽きさせない。

 

 

 

 

タイトルの話しをすると、

私は過去に自分がファッションや写真について

少し学んだことがあって

 

今はそれとは全然違うことをしてるし、住んでる場所も移して

都会からは離れている。

 

先日、学生時代にお世話になった先生から突然連絡が来た。

 

「みんなで集まりませんか?」というようなお誘いだった。

 

 

今や写真を続けて活躍してる人達の中に

私が入っていることがなんだか疑問だった。

と同時に

 

私の中で今の私について

自分が猛烈な恥ずかしさや、劣等感や、今の自分に何もないと思う気持ちが

込み上げて来た。

 

いつもならそんな気持ちを抱えたままで

その人達の中に入って行こうとする気は起きなかったけれど

 

色んなタイミングが重なっている偶然と

連絡をくれた嬉しさを信頼することにして

このやりとりの中に入ってみることにした。

 

何も残せない。何もできない。何もない。

 

久々のやり取りは、そうゆう私を自分自身に感じてくる出来事だった。

いたたまれない気持ちと、

もしかしたら場違いなんじゃないのかという不安と。

 

私は最近起こってくる出来事に

自分がこの年齢になるまで

自分に何も残せていないという現実を見て

げんなりしていたこともあって

 

そうゆう最近の自分の反応や感情と

〝大人になりなさい〟という言葉が

切り離せなかった。

 

私のウィークポイントとも言えるこの反応に

大人になりきれない自分を嘆いていたし

自分はダメなんだと

自己否定にエンジンがかかった。

 

だからこの手のことを書いてると

恥ずかしい自分を晒してる感覚に陥ってしまうパターンがあった。

 

でもそれは

いつも誰かの目を気にしていることから始まっていた。

他者から見られているという方に全力で意識は持っていかれる。

恥ずかしさって

相手あってのもの。

 

本当に見なければならないのは

痛んでる心の方。

それが出る機会を人は選べないけれど

出て来たなら、気にするのは

他者の目じゃなくて

自分で今感じてるヒリヒリするようなその感情の方。

 

 

今は、あまり自分を恥ずかしいとは思わなくなったのは

今までして来た経験や、見て来たものがちゃんと美しかったから。

自分の経験には替えがきかなかったな。

 

好きなものが無くなったように見えたり

自分には力が無いと、弱さに途方に暮れてたりもしていたけど

 

実は好きなものは一貫してるし

力がないことにしていた気がする。

 

行為は同じであっても

心の内側で

自分の痛みや弱さやしてる反応に

厳しい手を緩めていくと

 

その行為の意味合いさえ変わってしまう。

 

だから外側でやってることは

もしかしたらあんまり関係ないのかもしれなくて

 

どんどん行動に起こしてみて、そこで自分の中に何が起こるのか

見てみるだけでも

それが価値のようにも思えてくる。

 

だから、傷付くことや劣等感とか怖いと感じる機会を

これからは大切にしていきたい。

 

行為にかける想いの質を変えると

生きることは楽しくなるのかもしれないから

 

自分が受け入れがたいものの方に寛大になれた時は

その質も変わるように思う。

 

 

生きることや経験そのものや

相手の存在のことや地球での営みのことや…

 

それら外側のことを通して

自分がどんなことを感じているのか?

 

存在を楽しむ為に

上手な選択ができたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔の作り方

ameblo.jp

 

これは先日書いた記事だけど

表面的なことへ執着するほど

大切に出来ないことはよく分からないし

見えなくなっていく。

 

コンプレックスの塊で外見に自信がなくて

だからずっと自分をダメだと言い続けることに慣れてしまって

気付けば、それが当たり前になる。

 

表面的なことを支えているのはいつも

目に見えないこと。

自分の想いの方。

 

笑顔になれないのは仕方がなくても

それでも〝大切にします〟という意識が大事。

 

私自身を大切にするレベルは

うんと低いところから始まってる。

お金よりも価値のない私から始まってる。

 

だから、色んな事が

うまくいかないかもしれないけど

 

でもこの笑顔を自分に向ける意識は

今までは出来なかった。

 

自分が囚われていることで、自分が首を絞めている。

 

例え表面でも内側でもこの自分を好きになれなくても

それでも大切なんだと

自らに伝えていくことが

地味に変化をもたらしてくれるような気がする。

 

人は変われないと

どこかで諦めていたのかもしれないけれど

 

そうじゃなかった。

 

どこにもいかないで

今の自分の心を見つめていく。

今からは本当にその繰り返し。

 

未来にも過去にもいかない。

 

自分がしてる反応と感じる感情は

外側から得られる。

 

その相手に、その出来事に

私という生き物は

どんなことを感じるのだろう?

 

痛みやネガティブとするものに

あわてないで、追い出さないで、騒がないで

 

どうかそっと見守るという訓練を。

 

いつだって自分の外側にあるモノ達は

私に教えてくれるありがたい存在だから。

 

 

 

自分を責める声に気付いていく

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今年は紅葉が、なんだか色濃い気がします。

 

私がこうして言葉を書こうとする時には

ある一定のパターンがあります。

 

今の私を否定する、最近の私を否定する

そこから新しく選択する

ということです。

 

私はほぼこれの繰り返しで

人生が作られています。

使う言葉は、その人の在り方を反映します。

 

 

〝こんな自分ではダメだ〟

 

 

この価値観が根付いているのなら

こうして言葉に出す必要もないほど

気が付かずに既に自分に厳しいはずです。

 

 

でも、例えそれを元にどんな選択をしたとしても

その衝動に身を任せてもいいとは思うのです。

私はそうやって生きてきました。

もうそうゆう過去がダメだったなんて

いくら言ったところで

今までとは何も変わらないから。

 

でも自分に起こるその衝動は

いつも誰かの目を基準にしたものかもしれないとは

感じるようになりました。

 

誰かにとって立派な人生を送ろうと目指すよりも

 

自分に対して胸を張れて

嘘がなく

信じられて

甘えられるような

  

そうゆうデザインをして

自分という存在にプレゼントできたらいいと思います。

 

自分がダメだと知りながら

そのダメなままで自分に残したいものを

自分にプレゼントする。

 

私が私を受け止める勇気や覚悟の為に

恐れを感じる出来事が起こるなら

 

その恐れを避けるのはやめて

その恐れを取りに行ってみたら

 

私はこのままの私でいいと

もっと言えるのかもしれない。

 

その可能性は今の私にとって

とても魅力的なものだったりします。 

 

これからは、そうゆうプレゼントを

自分に与えていくのかもしれない。

 

自分が自分にしていることと

外側から自分にされることが同じだというのは

本当のような気がするこの頃。

 

 

 

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#秋#紅葉#自然#雨#ブログ用

 

 

光のない少ない雨の中でも

秋という季節の美しさを見出す力を

人は預けられているようです。

 

弱さというメリット

この夏はとても強烈な印象を残した夏だった。

 

お金・恋愛・家族

 

簡単に言うとそんなことを通して色々経験した夏だった。

 

人の中に入り込んで

初めてそこに触れたような経験だった。

 

今までは触れないようにしていた。距離をもたせていた。

無難な距離を保って、付かず離れず

波風たてず。離れやすいように。

 

でも今年はまるでハプニングのような、花火や台風のような

夏だった。

自らそうしてみた夏だった。

 

傷つくと分かっても好きになってみたのも

 

お金が必要だからって、さらっと嘘ついて環境を強引に変えたのも

 

自分を変える目的の為にお金を使い続けて

気付けば時間がすごく過ぎてることも

 

自分の家族にはない家族の形を他の家族に見せられて

そんなのもあるのかと初めて知ったのも

 

結局のところ

私は自分を全然知らなくて

新しい経験や怖い経験をすればするほど

自分が何をしているのかがよく分かってしまった。

 

 

もうどんな自分でも、好きな世界を作れるんじゃないか?

たくさんかけたお金と時間で

いい加減その疑問に出くわす。

 

 

今出来上がった人生も自分仕様のカスタマイズなのに

それを自分がやっているという自覚がまるでなかった。

 

セルフイメージの中に〝受け身〟という言葉が出てくるのはそういうことだった。

 

「そう見える」のではなく

「そう見てる」が正解だった。

 

こんな私だから◯◯しない、

こんな私だから◯◯ならできる、という選択をしてきた。

 

こんな私がする感情に

どっぷり浸かっていつまでも抜けなかった。 

感情は出てくるから仕方ないけど

それをどこかで相応しいと思っているから

いつまでもその感情から抜けなかった。

 

それくらい

「こんな私」というのを理由に自分が自分にしてることだった。

 

例えば

「可哀想な私」でいることがそれだった。

 

自分がそうしてることは認められなかったが

可哀想な私でいると

優しさというご褒美がもらえるから

それがもらえなくなるのが怖くて辞められない。

 

弱さを武器にするとは、そうゆうことだった。

 

可哀想という弱さを強かに使っている自分なのだ。

 

全部自分が創ってるという視点。

 

頭で考え出すと、その視点からズレていく。

 

やれ誰のせい、これのせい、そして自分が悪いという悪循環。

 

解決はやめて、これからは創造を。

 

どんな自分であっても、自分の理想は自分で作れるんだって

 

そちらの方を選んで行く。

 

常に常に、他人の顔色ではなくて

常に常に、自分の心の方に集中すること。

 

今、その私の状態は自分の望んでるものなのか?と。

 

 

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#夜明け#秋の空#ブログ用

 

 

 

 

 

 

 

過去を大切にすると、出てくる言葉

人は何もしないと悪い方に引っ張られてしまう。

それはもう、仕方のないことかもしれない。

 

自分があと、どれくらいの時間をこの地球という場所で

過ごせるか分からないけれど

生きているうちの多くの時間を

出来ることなら穏やかで豊かな心で過ごしたいと思う。

 

良い考えや、気持ちのいい感情だけじゃないのが人間だから

今という地点から過去に首を突っ込んでは

あれは良かっただの、悪いだのダメだのと

気が付かずにやってる時間を過ごしてる。

 

でも、どんな過去も

今の自分が「これでいいのだ」と言ってあげられるなら

本当にそれだけで、

余計なことを考えたりする時間はピタリと終わるものだ。

 

今の自分だけが、どんな過去も良い過去に変えられる。

 

だからそれは自分が決めていい。

 

肯定されると、前に進むのも許可がおりて

ぎこちなさではなく、自然に進める。

そうして、未来も良くなる。

 

だから何度も、そして色んな人が

この言葉を推薦してる。

 

そのくらい何度も言っていい言葉。

人はすぐに忘れてしまう生き物だから。

 

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辛い時

今不意に隣の席に座った女の人に安心して

涙が出そうになった。

 

こんな風に他人に安心を見たのは初めてだった。

他者は私にとって怖い存在のはずで

いつだって近くには来て欲しくないという自分の感情が見えてしまう。

男性だったらいつも通りなのかもしれないけれど。

 

私もやっと普通の感覚になれたんだろうか、

なんて考えてしまった。

 

でも、

それくらい今の自分の心は張り詰めそうだったんだと

涙が溢れそうになるその感情に力が抜ける。

そうゆう感情は大事にしたい。

 

 

辛い時に、

その状態をどうすれば抜けられるか考えてたりした。

例えば、

憧れのあの人ならこんな時は

どんな風に考えたり佇んだりしているのだろうとか

感情を感じてみるとか

本を読んでみるとか

 

考えたらそれなりに対処は出て来るけれど

正直、どれも続かなかった。

辛いものは辛い。

そんなの仕方ない。

 

 

でもふと、この辛さを選んだのは誰だかを思い返した。

 

なぜこの現実なのかを考えると

自分がそうした方がいいと思って

相手に伝えた言葉のことを思い出していた。

 

そうしようと決めたのは誰だったのか?

 

相手までいて、

それを伝えるという行動までしたのは誰だったのか?

 

私はいつも自分の言葉と行動が一致することが本当に少なかった。

自分で自分にした約束を守ったことが本当に少なかった。

 

自分で決めたことを弱さや感情を理由に

簡単に覆してしまう。

そしてそれはいつも

しょうがないことになっているということにも

気が付かないまま。

 

誰かとの約束は重大なのに

自分とする約束はほとんどが破られていた。

 

 

弱さを理由にして

弱いということで

免除してもらえると思ってる自分がどこかにいる。

 

〝可哀想な私〟

 

感情に溺れたり、感情に執着することで

自分のやってることが見えなくなっていく。

 

自分の弱さを認めてないから

弱い自分を平気でやれる気がした。

 

強くなったら嫌われるからという理由で

強くなろうなんて一度も思ったことがない。


でもいつまでそうやって

自分を閉じ込めておくんだろう。

いつまで

自分を台無しにしてしまうんだろう。

 

私のパワーを1番に封じ込めたのは私自身だった。


弱くいれば、優しさをもらえると思ってきたから

弱さの殻で身を包んだ。

優しさをもらえなくなることが怖かった。

だから、弱い怯える私をやめられなかった。

 

 

辛い時、

いつもその状態から逃れようとする方法を探してる。

 

でも、

何かになろうとするんじゃなくて

今の状態を変えようとするんじゃなくて

 

今という結果の全ては私が作っている。

それに気がつくだけで

とても楽になる。