幸せのためのエッセイ集

幸せは見つけるもの✴︎感じるもの✴︎選ぶもの✴︎決めるもの✴︎喜びを生きる為に経験をoutput

心の声を精査する

パワフルさがないのも

決断できないのも

諦めることも

受け身でいるのも

悲しんでその悲しみに私が奪われてしまうことも

 

全部全部

私が私にさせていること。

 

パワフルさは出さないようにしていて

決断してなくて

諦めることで向き合わないで

受け身でいることの方が都合が良くて

弱い事にして

いつまでも立とうとしない。

 

できない理由をいつまでも集めて

それをしないだけ。

 

自立できないんじゃなくて

切り離せないだけ

 

誰かにしてもらうことだけでは

パワーのある人の側にいるだけでは

自分のパワーは出ない事を今経験させてもらっていて

 

そしてお別れする時のその痛みが

自ら立とうとする力になること。

 

今まで特別な事を

秀でた事を

ひとつ周りよりも頭が出てるような事を望んできていて

 

収入とかどんな仕事をしているとかパートナーとか

幸せの代表としてあげられるようなものを

手にしたくて

 

でもそれが本当にやりたい事なのかを考えるけど

 

そこで、自分の心を見ようとした。

見えないけど、心の声なんてどこにあるか分からないけど

それでも見ようとして


それで、

今私の心が訴えてくる事って何だろうって考えて

 

楽しんで仕事に取り組むこと

家族と友達と仲良くすること

人と深く関わること

 

それは結局、幸せの代表を集めてるのと何ら変わらないように見えて

 

でも自分がそれを待つのではなく

取りに行くことなんじゃないかと思えて

 

楽しむために私はどうするか

仲良くするために私はどうするか

人と関わるために私はどうするか

 

の方を考えた方がいいと思うようになった。

 

私はもしかしたら

これから今までと同じような環境を選ぶかもしれない。

 

でもそこで感じる中身を変えてみたい。

 

今までと仕事も友達も両親も変わらないけど

私がその環境にどう接するかを変えたい。

 

ふと、

そんな想いがした。

 

いきなりできなくても

誰かにしてもらうのではなく

私がしていく方になること。

 

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叶えたいなら、望まなければ、取りに行かなければ。

しばらくの間

自分と自分が音信不通な感じがして

もう結構経った。

多分去年末くらいからだと思う。

こうゆう感じで同じことを

前にも書いてるし。

 

生き生きとか

ワクワクとか

情熱とか

エネルギッシュとか…

 

そういったものが感じられなくなって

探すことさえ諦めてしまえそうな自分に

少しだけ感じられた怖さはきっと

心からのサインなんだろう。

 

疲れてくるとなんだって弱くなっていく。

心だって同じだと思う。

 

でも、そうなるまで私が放置したんだ。

 

同じことを繰り返して

変えることはしてこなかった。

変えることに挑戦はし続けたけれど

その自分のやり方からでは上手くいかなかった。

 

教えてもらったことのやり方を

教わった人と同じようにはやってこなかった。

自分のやり方でやっていた。

いつだってその傲慢に気付かないまま。

でもそうゆうものなんだ。

 

怖くて、痛いから

その感情に触れたくはない。

 

でもそうゆうものなんだ。

 

腹黒い本音。

 

でもそうゆうものなんだ。

 

他にもたくさん。

 

でもそうゆうものなんだ。

 


結局変わらない理由は
何かが悪いから

ではなかった。

 

分からないからでもなかった。

 

理由は何であれ

やる人はやる

と言う言葉の意味をやっと理解した。

 

頭の中では分からない。

誰かの言葉をいくら読んでも

本当の分かるには辿り着けない。

 

私たちは体を持ってしまったから。


口で声にしなければ

手を上げなければ

立たなければ

 

体を使わなければ

 

ここでの生き方は残念ながら

そうゆうことだった。

 


クリエイティブに生きるという能力はすでに今

発揮され続けて

 

例え何もしていなくても

その何もしていないことを描き続けてる。

私たちは待っているようで

何も待ってはいない。

 

それさえ自分でしてることだった。

 


手元には無限の色が用意されて

自由に使えると気付けるその時は

 

もう自由にはならないと諦めた時だった。

 

変えたいと願っても変わらないけど

 

もう変わることなどないと真正面から折り合いをつけられるなら

 

変化はやってくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

優しさって?

 

今まで私は、

優しさを想いから使ったことなんてなかったと

 

私にとって優しさは

想いからするのではなくて

 

利用していたのかもしれない。

 

そうしたいからするのではなくて

例えば、良い人でいる為に、優しくする。

例えば、怒られないようにする為に、

例えば、誰も傷つけないようにする為に…

と言った感じに

 

何かの代わりとして

何かの引き換えとして

何かと出会わないようにする為のカモフラージュとして

 

自分からそれをただするのが怖すぎて

できなかった気がした。

 

別にそれが悪いとかそうゆうことじゃなくて

 

誰かに優しくされて

でもそのお返しのように優しさを返そうとすると

全く不自然な優しさになる。

 

優しくしようと思っても

優しささえ優劣と繋がっていたことに気付いて

優しくされることが勝ちで

優しくするのは負けで

 

言葉にするとなんだか居心地が悪くて

でも本当だから

こうして表すとなんだかやりづらくて

 

想いから優しくするのが

本当にできないんだと実感する。

 


優しくするからにはそれを返してくれないと

優しくできない。

 

私にとって優しさをただあげることは

怖くて、恥ずかしくて、仕方ないから

しない。

 

私はただ優しくすることができない。

 

優しさと引き換えになるものがなければ

見返りがなければ、あげられないという

なんだか、とっておきになってしまった。

 

 

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きっと、そうしなければいけなかったんだろう。

私は私に鍵をかけて守りたかった。

踏み込まれたら、自分ではどうすることもできないと思っていたから。

でもそれは他人から踏み込まれたら、と

今までは思ってきたけれど

 

本当のところは

自分では自分のことを何も守ってあげられないからだった。

 

外側で誰かに近付けないという距離感は

内側の自分自身に近ずけないという距離感と同じだった。

 

傷付こうが、壊れようが

それを見守ることもしなかった。

支えるつもりなんて、側からなかった。

 

でも、全部

自分で選んだんだ。

 

そうやって怖がってばかりで、

見えない感情がたくさんあった。

 

見えなかった。

例えば、ずっと寂しいなんて言えなかったように。

 

 

 

目の前の誰かや出来事を通して

一喜一憂するけれど

 

一憂することを嫌がらずに、構えずにいると

生きることの喜びは簡単に感じられるようになる。

あれも、それも、これも

実は喜びだったんだと気付けるようになる。

 


私はこれから何を選ぶだろう?

 

優しくして何ももらえなくても

信じたのに裏切られても

 

私から離れていく誰かがいても

 

私は何ももらえないとわかったら

何もしないんだろうか?

 

だからって、今の私は

優しくすることも、信じることも

自信がなかった。

 

そうやっていつもゆらゆら水の中を泳ぐんだ。

 

寂しさと不安と悲しみと憂鬱と情熱と喜びと

そうゆう中を。

 

心を頼りにして、傷付きながら

でも、勇気を持って。

 

 

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溢れるその時まで感謝は待てばいい

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#コスモス#花#ブログ#お参り✴︎ふと、感謝に溢れてこの道をまーっすぐまーっすぐ行ったところのお寺へお参りに行ったら今日はたまたま住職さんがいて中へと招かれてお線香をあげることができた。最近はこうゆうことは偶然というより繋がりの強さということにしている。

 

 

もしかしたら、

人生のうちのほんの些細な一瞬のために

出会ってくれてる人たちがいるのではないか、と

 

私を良く生かすために、必要なタイミングで

必要なその時に、必要な時間だけ現れて

そして去って行く。

 

そんな出会い方をしてきた人たちが

私にはいたのではないか、と

 

最近そんなことを思っていた。

 


ずっと一緒にいられる関係もあれば、

それが突然終わってしまうこともある。

 

そんな別れを

実はまだ知らない私が言うことではないのかもしれないけれど

 


私から見る今の私は、とても力がなく

ただ頂き物で生きているような

 

私から誰かに何もあげられるものもなく

私から誰にしてあげる勇気もなく

 

そんな今の私が出来上がっているけれど

前よりもずっと幸せな時間を

感じさせてもらっていて

 

嗚呼、ありがたいなと

そんな感謝だけが溢れるのは確かなことだった。

 

目に見えないことへの疑いよりも

人目の優先よりも

信じることを始めてから

感じることはより深くなった気がする。

 

見えることはその結果でしかなく

見たい結果が今はっきりある訳じゃないけれど

 

見えないことへの自分の姿勢を変えたことで

その結果としての現実は

少しずつ少しずつ今までとは違うものになって

 

それはある意味で

想像できないところから変化球のようにやってきて

戸惑っているというのを感じる毎日だったりもする。

 

 

 

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人それぞれの幸せのカタチ

 

今の私はまだ幸せが

いつかのゴールに向かうようなカタチあるものだと思っている。

 

でも確信は揺らぎ始めて

 

最近、欲しかった幸せに近づいて思ったことは

私は幸せを自分の為ではなく

誰かに見せびらかす為に必死で追い求めているということだった。

 

私だけが知っているのでは足りなくて

誰かに私を分かってもらわなければ

安心できないのは

そうゆうことだった。

 

だからカタチが必要だった。

 

〝感じ〟だけではダメなのは

それでは誰かに知らせる術がないからだった。

 

どんな私が重要なんだろう。

 

例えばお金

例えば仕事

例えば恋愛

 

良き妻

良き母

良き親子関係

 

恋人の有無

経験の有無

才能の有無

肩書きの有無

 


これが出来れば、あれが手に入れば…

 

 

幸せになれると信じたけれど

 

例えば、ファッションやアートに惹かれたのさえ

私を飾るためのものだった。

誰かの表現を着て私を飾りたかったのは

それらを嗜む私が重要だからだった。

 

もう、なんでもいい。

 

弱さから求めても、それさえ人間らしくて良いことのように思う。

 

できるなら求めていたあの時にそう思いたかったと後悔のないように。

 

だから今何を感じ、何を思っているのかを

大切にしたくなる。

 

あの時にはもう帰れないから。

 

どんなにかちからなく、気力もない今でも

怯えとか、嫉妬とか、執着とか、嫌いだとか、怒りとか…

良いことより、そうゆうことの方こそ大事にしてみたい。

それでも未来の私は今(過去)の私を認めているだろうから。

 

未来の後悔とは

今を感じようとしないことなんだ、と。

 

あの時もっと味わっておけば良かったと安心しながら

未来の私はどんなことも受け止めて

いつも過去を愛せている。 

 

 

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人それぞれの幸せのカタチ

いつもどこか似たものが並んでる。

 

オリジナルや違いを追い求めてるのに

どことなく同じに見えてくる。

 

だからどんな風にそれをするのかが大切。

幸せという前提で全てを行うこと。

どんなこともありがたいと受け止められる感性が

元々備わっていることに気付くこと。 

 

 

 

 

 

 

 

秋を感じる写真かな

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久々に写真が撮りたくなるような日でした。

 

もうすぐ山に近ずく太陽の高度と、厚めの雲が

被写体を照らすのに1番いい光の状態というか

空間にバランスよく光がまわっていて

なんでも綺麗に見えてしまって

よく撮ってました。

 

iPhoneですけどね。

 

秋、

ですね。

 

花がよく咲いてました。

水が綺麗でした。

 

死んでるのに潤った感じがしたり

鮮やかさの背景は燻んでいたり

 

ひとつの絵の中に、相対するものが写っている

私には、そうゆう好みがあるようです。

 

 

 

 

 

無目的のススメ

 

この前、

見えないものが見えたり聞こえたりする友人のセッションを受けた。

スピリチュアルや精神世界。

あると思う人、ないと思う人

私はそれらを情報として取り入れながら疑う人。

でも、今やあるということになっている。

 

私は前々からその友人に

頭で考えるのをやめるようアドバイスをもらっていたのだけど

考えることはなかなかやめられなかった。

それは、今も継続中だけど。

 

スマホで情報を集めては

自分の生き辛さをブログを書き続けることで

原因を理解し解決したかった。

 

「問題を解決したかった。」


それくらい常に問題があるのが普通だった。

悪いものが自分の中にあると思っていた。それがずっとあるのが許せなかった。

だから解決してスッキリしたかったのだけど

スッキリしたような気がして

いくら解決したようなつもりでも

また次、また次と終わりが来なかった。

 

そして書くことは考えを強化し続けた。

私の場合、書くことで納得したいし、気付きたいからだった。

そうゆう終わりや安心が欲しかったんだ。

 

でも、実は

問題がある私を、私が作り続けてた。

なにせ

「問題を解決をしたかった。」のだから。

私のしたいことがそれだったなんて…。

 

終わりや安心が欲しいはずなのに、エンドレスな上

欲しがる納得と、安心と、ゴールと、結果は

今自分にはそれが「ない」からスタートした未来で

今頭で考えてる大半が

その「ない」からイメージする未来だった。

 

イメージすることも頭でよくやっている。

目的やゴールのイメージ。

何かを作る時も最終形をイメージする。

イメージトレーニング。

感情を感じることも

言葉を使う。

言葉は考えなければ出て来ない。

 

「恐怖」という名前でそれを呼ぶ。

「不安」「怒り」「嫉妬」「悲しみ」

まだ色々あるけれど

それぞれに自分なりのイメージが付いている。

悪いというイメージが付いていると

感情をジャッジし始めて

そのまんまを感じられなくなる。

 

本当は「嬉しい」も「楽しい」も感情の種類の違いなだけなのに

自分が良いとしてる感情には心を開いてそれが流れるのを許してる。

 

悪いとする感情には心を閉じてしまう。

すると感じられなくなる。

やがて良いものも流れなくなる。

 

頭が休まることなんて、本当に少ない。

心のことまで、頭のお喋りが入り込んでくる。

 

 

セッション中に言われた事で、印象に残っていることをひとつ。

 

私はずっと写真を撮ってきていて

初めての場所でも風景を探しながら歩いているのが普通だった。

自分では目的意識が無くフラフラ歩いてるつもりでいたのだけど…。

 

でも、

常に無意識で何かを求め続けて歩いてることを言われた。

風景探しという目的。

私は探し物をするように街を歩いてきたんだ。

 

人は大抵どこかに向かって歩いてる。

例えば、駅へ向かうし、仕事へ行くし。

時に乗り物にも乗ったりしながら、目的の為に体を運ぶ。

その目的というゴールを頭の中でイメージしながら。

 

「何も考えずにただ歩くこと」をする自分を考えた時、

そんなのちょっと怖いと思ったのだ。

目的がないことに恐怖が出た。

頭で考えるのを止める事に恐怖があったんだ。

 

それは浮き輪を取り上げられるような怖さと重なった。

だから私はその恐怖の為に考える事をやめられないんだ。

空っぽの恐怖。

それは不信の恐怖。


今までずっと考えてきたけれど

もう納得も答えも気付くことにも

魅力を感じなくなってしまったんだ。

 

そして、問題がある自分でも良くなってきてしまった。

 

もしくは、それの何が問題なの?と

自分に聞いてみたりしてる。

 

 

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#山#夏 #自然#ブログ更新